1945年の石油危機毎日新聞 2026/8/17 11:00(最終更新 8/17 11:00) 有料記事 1633文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷滝川市美術自然史館・郷土館が保管・展示する人造石油。戦時中に採油され現存する全国で唯一のサンプルという=北海道滝川市で7月24日午前11時8分、高橋昌紀撮影 液体は薄黄色に濁り、のっぺりとした印象があった。高さ12センチ、直径4・5センチほどの円筒形のガラス瓶の中で、80年以上も保管されてきた。 その一滴は当時、「血の一滴」と同等とされた。日本政府は1937年、液体量産のために7カ年で約7億7000万円を投じることを決めた。 単年度の国家予算の約28%を占める額で、戦艦大和建造費の5隻分に相当。現代換算では、リニア中央新幹線の建設予定費11兆円(品川―名古屋)をはるかに上回る。 だが、目的は果たせなかった。黄色い液体は物言わぬ証人として、今と変わらぬ島国日本の限界を伝える。国内需要の4割目指す 北海道のほぼ中央に位置する滝川市。人けのない小さな神社の草むした境内の一角でようやく、その記念塔を見つけた。 38年設立の国策会社「北海道人造石油株式会社」(人石)の関係者らが、戦後の62年に建立した。この地がかつて、日本の最重要地域の一つだったことを物語る。 国運を懸けたプロジェクトの名前は、「第一次人造石油7カ年計画」(37年1月策定)。石炭を原料に、直接液化、ガス合成、低温乾留の3方法で「石油」を年間200万キロリットル製造し、…この記事は有料記事です。残り1140文字(全文1633文字)【前の記事】「日本酒の暗黒時代だった」 酒蔵に無縁の蒸留装置押しつけ関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>