宮崎駿さんの原風景?名残はなくとも… 軍都・宇都宮の暗い記憶

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毎日新聞 2026/8/16 12:15(最終更新 8/16 12:15) 有料記事 1401文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「宮崎航空機製作所」の工場があった場所を説明する三品義也さん=鹿沼市上野町で2026年7月15日、仙石恭撮影 栃木県鹿沼市中心部を南北に貫く黒川の支流、西武子川。その小川沿いにたたずむ狐ケ森稲荷神社のすぐそばに、民家が建ち並ぶ。 ここには戦時中、アニメ映画監督、宮崎駿さんの父が経営に携わった「宮崎航空機製作所」の工場があった。戦闘機を製造していた中島飛行機(現SUBARU=スバル)向けの部品を造っていた。 宮崎さんは当時、幼少期で宇都宮市に住んでいた。「飛行機マニア」と称される世界的アニメーターの原風景に、鹿沼の工場や宇都宮の景色があったのかもしれない。 鹿沼市史の編集委員だった中島正さんの著書「鹿沼まちなか散策」によると、宮崎航空機製作所は、太平洋戦争開戦前年の昭和15(1940)年に建設されたと記されている。 狐ケ森稲荷神社の向かいにある、創業150年を超える三品石材の5代目、三品義也さん(62)は子供のころ、伯母から宮崎製作所の話を聞かされていた。3代目だった祖父が戦時中、工場用地として石材所の土地の一部を供出したのだという。 工場があったという一角に立った。坂の多い静かな住宅地で、名残は何も見当たらない。鉄のブラシで頭を 「絶対服従」の記憶 近くに住む元鹿沼商工会議所会頭、福井辰次さん(97)は、同居していた当時20代の姉、フサさんが製作所の工場で働いていた。福井さんは「軍需工場は機密を取り扱うので、家族にさえ仕事内容は詳しく教えてくれなかった」と語る。ただ、戦闘機の翼など部品を生産し、社員が運転するトラックに同乗し、群馬県内にあった中島飛行機の下請け工場に納めていたと話していたという。 福井さんも鹿沼農商学校(現鹿沼商工高)に在学中、学徒勤労動員で戦闘機などの部品を造る日本造機の工場で働かされた。 小学生の時のつらい思い出も明かしてくれた。近所に生える竹をナイフで切っていると、思想犯を取り締まる特別高等警察(特高)に警察署へ連行された。刃物を使っていたという理由だけで、鉄のブラシで頭を殴られた。怒りを覚えたが「何も言えず、絶対に服従しなければならなかった」。「特高は年中、軍に反する行為をしていないか、危険物を持っていないかと市中を見回っていた。息苦しい、暗い時代だった」と振り返る。陸軍機飛んだ滑走路、今も…この記事は有料記事です。残り481文字(全文1401文字) 北関東の中心都市・宇都宮は、かつて軍都として栄え、軍需産業も盛んでした。戦後81年の夏、現代に連なる軍都の記憶を2回に分けてたどりました。 2回目 朝ドラ登場、西郷隆盛のいとこ 大山巌さんの遺品、なぜ宇都宮に=17日12時15分公開予定あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>