古代の鉄生産地・福島 失われた技術で刀を 元遺跡調査員の挑戦

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毎日新聞 2026/7/5 10:15(最終更新 7/5 10:15) 有料記事 2231文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷12回目の操業実験で用いた古代炉と吉田秀享さん=福島市立子山で2026年6月21日午前8時56分、岩間理紀撮影 今から1200~1300年前、福島県の浜通り地方は東日本で最大の鉄生産地だった。そこで行われていた“たたら製鉄”を現代によみがえらせようと、復元プロジェクトに取り組んでいるのが元県文化振興財団遺跡調査員の吉田秀享(ひでゆき)さん(65)だ。今年も通算12回目となる操業実験が6月下旬に開催され、「村下(むらげ)」(鉄づくりの責任者)として臨んだ吉田さんに思いを聞いた。【聞き手・岩間理紀】「昔の人にはかなわない」? ――足踏み式ふいご「たたら」を踏んで空気を送り、木炭を燃やして粘土製の炉内を高温状態にすることで、溶かした砂鉄から鉄を取り出すのがたたら製鉄。復元に取り組み始めたきっかけを教えてください。 ◆2002年、私が務めていた県文化財センター白河館まほろん(白河市)で「何か来館者と一緒に体験できるイベントを」とたたら製鉄を企画したのが始まりでした。浜通りでは製鉄遺跡が数多く見つかっていて、私も調査員として年に数カ所の発掘作業に携わってきました。しかし、たたら製鉄は1000年以上前に失われてしまった技術で「発掘だけ」では古代の人々がどのように鉄づくりに取り組んでいたのかについては分からないことばかり。 「さあ鉄づくりだ」とイベントの開催が決まっても当初は全てが初めて。古代炉で操業するにあたり、「炎をコントロールできる人がいないだろうか」と考えていた時に出会ったのが福島市立子山で刀を作っている刀鍛冶の藤安将平さんでした。現在も続く復元プロジェクト「立子山たたら」として、藤安さんの鍛刀場で1回目となる操業実験に取り組んだのが2013年です。 ――なぜ古代の福島では鉄づくりが盛んだったのでしょうか。 ◆奈良~平安時代初期ごろにかけて、当時の朝廷は東北の蝦夷(えみし)と呼ばれる人たちを支配下に置くために北上していきます。武器も必要になるし、攻め入った土地で耕作をするための農具も必要になったと考えられています。 それらを生産する上で当時最も適していた土地が福島だった。たたら製鉄の材料になる砂鉄は花こう岩が地質のベースとなっている地域で豊富に採取することができ、例えば北上山地、中国山地、阿武隈高地はその条件に当てはまります。いずれも古代に鉄づくりが盛んだった土地です。 今でも浜通りの海に行くと砂浜が黒いことに気付きますが、あれは砂に砂鉄が含まれているため。川が阿武隈高地を削りながら海へと流れることで、海岸に「浜砂鉄」として堆積(たいせき)するのです。 ――歴史背景に加えて、資源も豊富にあったのですね。 ◆ただ、浜通りで採取できる砂鉄は不純物(チタン)が多く含まれていて鉄を取り出すのが難しい。「立子山たたら」の操業実験でも一番頭を悩ませている部分です。一度、鋼を生産する技術者に県内で採れた砂鉄を見せたことがありますが、その技術者は砂鉄をひとつかみ握った後に「これじゃあ鉄はできない」と。でも、古代の人たちはその砂鉄で鉄をつくっていた。「古代の人々にできてなんで俺らにはできないんだ?」と…この記事は有料記事です。残り974文字(全文2231文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>