毎日新聞 2026/7/5 12:00(最終更新 7/5 12:00) 有料記事 4276文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷米兵少女暴行事件に抗議する県民総決起大会の参加者(主催者発表8万5000人)=沖縄県宜野湾市の海浜公園で1995年10月21日 沖縄戦や米軍基地問題など、沖縄と本土の被害・加害の構図は近現代史を貫く。 この構図の理解が論壇や社会運動などでどう作用し、今どうなっているのか。 沖縄戦後史に詳しい、古波藏契・東京科学大准教授とノンフィクションライターの藤井誠二さんの対談の(下)は、本土にも沖縄にも満ちる社会の閉塞(へいそく)感と反基地運動への否定的な認識などを議論した。【構成・鈴木英生】 <この対談の主な内容> ・「自治の島」の内実を問え ・「後ろめたさ」から「冷笑」に ・ヤマトとの関係性、どう作る? 藤井さんと古波藏准教授の対談を上下2回にわたって掲載します。(上)「反基地は正義」に潜む油断 辺野古事故で問い直す「正しさ」「自治の島」の内実を問え ――藤井さんは、沖縄での「ナイチャー」(本土出身者)に対する風当たりの強さを話されました。 藤井 「敵はヤマト(本土)だ」となれば一致できる面もありますから。 たとえば、沖縄にも政治的に基地容認派は大勢います。仕方なく認める人も、積極的に反基地運動を妨害する人もいる。親戚内でも対立しかねない。だが、「対立の種をまいたのはヤマトだから」ならば意見が帰着しやすい。 古波藏 「沖縄は自治の島」というセルフイメージがあります。 厳しく言えば、これは「対内地」のことじゃないかと思ってきました。内地に自分たちを主張することが、自治であるかのように見える。 「自らの社会をこうしたい」という議論を草の根から蓄積し、共に作るみたいな本来の自治が、実際にはどれだけあったかと。 ――「対東京」と言いかえれば、他の多くの地方にも当てはまるかもしれませんが。 古波藏 1995年の米兵少女暴行事件以後、「沖縄対内地」の対立構図がずっと続いてきました。 それが強烈に可視化されたのは故翁長雄志さん=メモ(1)=が知事になった頃(2014年)でしょう。 翁長さんの「イデオロギーよりアイデンティティー」というフレーズが非常に受けた。この受けたという事実が、内部対立の耐えがたいほどの高まりを示唆していたのではないかと。 でも、同じ手口は誰でも使える。実際、対抗馬の陣営側も「対立より対話」や「真ん中」といった表現を多用しています。 メモ(1) 1950~2018年。那覇市議(2期)、沖縄県議(2期)、那覇市長(4期)を経て14年に県知事初当選。知事在職中に死去。長年自民党に所属し、県連幹事長も務めた。知事選出馬前から辺野古新基地建設反対に転じ、支持勢力「オール沖縄」は今の玉城デニー県政でも与党。 藤井 他方、反基地運動の現場では、ヤマトから来た「支援者」的な人が「沖縄はもっとがんばってください」みたいなことを言う場面が少なくないと聞きます。 生活のかかっていない安全圏にいるヤマトの人間が、闘う平和の島である沖縄というイメージを現実の沖縄に覆いかぶせようとするわけです。 言われた側は、「いや、一緒にがんばりましょう」とも「沖縄にこれ以上、背負わせるな」とも言いたいと思います。 僕自身も、やはり安全圏から発言している人間。だからこそ、地元の人の本音を意識し続けねばならないと思っています。「後ろめたさ」から「…この記事は有料記事です。残り2963文字(全文4276文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>