テラ・クライシス:ホルムズ海峡、なぜ出光丸だけ通過? イラン大使が語った言葉

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テラ・クライシス毎日新聞 2026/7/6 06:00(最終更新 7/6 06:00) 有料記事 1669文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷米国とイスラエルがイランを攻撃してから、日本の原油タンカーで初めてホルムズ海峡を通過し、日本に到着した「出光丸」=名古屋港で2026年5月25日午前11時15分、本社ヘリから西村剛撮影 その投稿は、米・イスラエルとイランの戦闘が始まって以来初めて日本の原油タンカーがホルムズ海峡を通過した、翌日のことだった。 「日章丸の歴史的な任務は、両国間の長年にわたる友情の証しとして残っています。この遺産は今なお大きな意義を有しています」 4月29日、X(ツイッター)にそう書き込んだのは在日イラン大使館の公式アカウント。投稿は約400万回閲覧された。 国際政治学者・高橋和夫さんインタビュー投稿したのはイラン大使 2月末の戦闘開始後すぐに、イランは原油輸送の要衝であるホルムズ海峡を事実上封鎖した。各国のタンカーは軒並みペルシャ湾内で足止めされ、世界的な原油価格の高騰を引き起こしていた。出光興産のタンカー「出光丸」の通過は、そんなさなかに認められた。 海峡通過に合わせたような投稿には、どんな意味があるのか。5月中旬、自らXに投稿したというペイマン・セアダット大使が取材に応じ、1953年に起きた「日章丸事件」が原点にあると語り始めた。 当時、中東の石油は、欧米メジャー(国際石油資本)に支配されていた。莫大(ばくだい)な資金力で採掘だけでなく輸送や販売までをまかなえるメジャーに対し、財政面や技術面で劣る産油国は、不利な条件で採掘権を譲らざるを得なかった。 イランも英メジャーとの間で同じ構図に陥っていたが、51年に石油の国有化を宣言。英国と対立し、国際社会でも孤立した。軍監視の中、ペルシャ湾を往復 「イランはイギリスによる制裁下にあった。日章丸は制裁を打ち破ることに成功した」 当時は日本も原油の調達をメジャーに依存していた。より安い原油を求めて秘密裏に買い付けに乗り出したのが、出光興産の日章丸だった。英海軍の監視の中、危険を冒してペルシャ湾を往復し、日本に運んだ。 日章丸の買い付けは一民間企業によるものだったが、大使は事件が日本にとっても重要だったと語る。「戦後、主権は回復したものの資源に乏しい日本が、産油国からの直接の買い付けによって、新たな時代を開くことができた」 記事の後半では、専門家の分析を交えて、イラン大使の発言を読み解きます投稿の理由「両国にとって……」 日本とイランの関係は続き、70年前後には日本の原油輸入量の4割超をイラン産が占めた。だが核開発問題を巡る米国の制裁などの影響で、…この記事は有料記事です。残り708文字(全文1669文字) 国際政治学者・高橋和夫さんインタビュー【次の記事】日本企業はイラン復興に参画を 高橋和夫氏がみる石油確保の道筋【前の記事】米ウクライナのレアメタル共同採掘、成否のカギは 専門家の忠告関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>