加害の記憶 戦後81年インタビュー 田中理知毎日新聞 2026/9/29 13:00(最終更新 9/29 13:00) 有料記事 3379文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷インタビューに答える小説家の大前粟生さん=東京都千代田区で2026年8月5日、宮本明登撮影 もし徴兵されたら。戦地で飢えに苦しんだら。人を殺したら……。 作家の大前粟生(あお)さん(33)は7月、戦争をテーマにした長編小説「いつか、僕のしたことをきみに話せるだろうか」を「文芸」2026年秋季号に発表した。12月には単行本として出版される。 舞台は架空の場所と時代。戦争が始まり、若手作家が徴兵される。主人公は身も心も戦争にのみ込まれ、人を殺害するに至る心理状態を日記に克明につづる。 これは、大前さんが祖父の戦争トラウマを追った記録でもある。 戦争を知らない若き作家がなぜ、兵士の視点を疑似体験しようとしたのか。 「戦争のリアリティーや人の死に目をつむる今の時代の空気を真っ向から捉えたかったのです」 終戦から81年。日本はアジア諸国を、資源や権益を求めて侵略しました。戦後世代は日本の加害の歴史にどう向き合うべきか。連載「加害の記憶 戦後81年」を随時掲載します。祖父のうめき声 <私の記憶のなかにいるのは毎日のように悪夢にうなされ、癇癪(かんしゃく)を起こし、ときどき食器やリモコンをおばあさんに投げていたおじいさん> 大前さんは小説に先立ち、昨年出版された「文芸」25年秋季号にエッセー「戦争の身体」を寄せた。 22歳のとき、祖父は86歳で他界した。在りし日の祖父の不可解な言動と戦争の関係を探っていく内容だ。 祖父は1928年生まれ。祖母の話では戦時中、海軍に所属。志願して特攻隊員となったが、実際に出発することなく終戦を迎えた、と聞いた記憶がある。 本人が戦争について家族に語ることはなかった。大前さんは実家で祖父とともに暮らしていたが、会話を交わした記憶もほとんどない。 ただ、夜中になると、誰かに襲われているような、襲っているようなうめき声をあげていたことを鮮明に覚えている。 「がああああ、うううう、っぞおおお。おおおおお」 その声で目を覚ます日もしばしばあった。 「この人は何なんだろう。何を考えているんだろう」 しかし戦争や悪夢について家族で話すこともないまま、祖父は世を去った。 大前さんの家族は誰もが寡黙だったという。「戦争の身体」では、実家をこう表現した。 <おじいさんの見る戦争の悪夢。それはあの家にとって開けてはいけないパンドラの箱で、私らは悪夢の意味に、戦争にうっかり触れたりしないようにしんと静まり返っていたんじゃないか> <この後の内容は> ・日本のアジア侵略と差別の実態 ・暴力によって教育する軍隊組織 ・「国のために人を殺す」心理とは ・戦死に「感謝」する日本社会に… ・「戦争体験につながる」小説の力祖父の恐怖を追体験したい 大前さんは昨年「戦後80年・昭和100年」をテーマとした執筆依頼を受けた。戦争トラウマに関する本を読んだことをきっかけに、祖父の言動にも戦争の影響があったのでは、と考え始めた。 「自分の家庭は特殊ではなくて、ありふれた一例だった。そういうところから何か書けないだろうかと構想しました」 一方で、祖父が語ろうとしなかった戦争体験に触れることは「墓を暴く」ようで抵抗があった。 祖父の従軍に関する資料は残…この記事は有料記事です。残り2089文字(全文3379文字)Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】ネルソンさん映画に父を重ね…日本兵2世が体感した戦争のリアル関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>