【動画】子どもの命奪う希少がん 立ち上がった遺族たちAストーリーズ 子どもの命奪う希少がん(1) 前橋市に住む林くららさんに異変が起きたのは2020年の終わり、小学6年の冬だった。 学校で「斜視がある」と診断された。くららさんは「ものが二重に見える」と言った。 診察を受けた眼科から勧められ、小児科でMRI検査を受けた。医師は検査結果の画面を見せずに、すぐに「お子さんは外に出てください」と言った。子どもの命 奪う希少がん 母親の林真友子さん(51)が見せられた画像には、脳の真ん中にぼやっと白いものがあった。真友子さんは仕事で医学系の研究に携わる。「脳腫瘍(しゅよう)ですか」と聞くと、医師は無言でうなずいた。 その後の病理検査で、腫瘍は悪性度の最も高いレベル「Ⅳ」、病名は「びまん性正中グリオーマ(DMG)」だと告げられた。 DMGや「びまん性内在性橋グリオーマ(DIPG)」は総称して「小児脳幹グリオーマ」と呼ばれる。脳幹やその付近に散らばるように腫瘍ができ、広がる。切除は困難で、治療法は見つかっていない。患者のほとんどが子どもで、半数は診断を受けてから生きられる期間が1年に満たないとされる。 正確な統計はないが、遺族らでつくる団体などによると、年間に米国で200~300人、日本でも50人ほどが発症するという。 医師から「治療する方法はない」と言われたが、真友子さんは諦められなかった。「何か方法があるはずだ」。情報をかき集め、東京都内の病院で、成人の血液のがんを対象に開発が進められていた服用薬の治験を見つけ、申し込んだ。 21年8月から治験が始まると、くららさんの症状は落ち着いた。気分が悪くなることも多く、大好きだった学校は数時間行って帰宅する日々だったが、時々、希望していたバレー部の練習にも足を運んだ。利き手ではない左手でペンを持つ中学3年のくららさん。最後まで「高校受験をしたい」と話していたという=2024年1月ごろ、前橋市(家族提供) 治療が続く生活の中で、くららさんの心を動かしたのが、治験の病院で出会った「チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)」(子ども療養支援士)の女性だった。子どもと話して丁寧に気持ちを聞き取り、医師や看護師に伝え、治験の計画を決めていく。つらい治験の支えだった。「こんな人になりたい」。くららさんは笑顔で言った。 だが、中学2年だった23年初め、腫瘍が大きくなっていることが確認された。治験は中止された。 腫瘍は脳の左側にあり、体の右側を動かすのが難しくなった。学校にも行けなくなった。【動画】主に小児がかかる難病で長女のくららさんを亡くした前橋市の林真友子さん=染田屋竜太撮影 中学3年になった。「友だちいなくなっちゃった……」。ぽつりと漏らした言葉が、真友子さんの心を刺した。 「コップ」と言いたいのに言葉が出てこない。笑顔で持とうとしたものを落とす……。 それでも、CLSになる夢を持ち続け、高校受験を諦めなかった。 トイレの壁に、数学の公式や社会の用語を覚えるためのメモを貼った。利き手の右手は動かず、左手で必死に数学や英語の問題を解き、少しゆがんだ赤丸を自分でつけた。 「肝臓 胆汁をつくる アンモニアを尿素に」。形が崩れながら、強い筆圧で書かれた理科のメモが残る。夢をかなえるために勉強したいとペンを握り続けた。 くららさんの体は徐々に動かなくなっていった。【連載2回目】「薬間に合ったよ」母は脳腫瘍の娘に告げた 日本でできなかった治験小児脳幹グリオーマ 小児脳幹グリオーマ(DIPG/DMG) 脳の中心部にある「脳幹」や周辺に発生する悪性腫瘍(しゅよう)(グリオーマ)。脳幹は、呼吸や心臓の動き、体の運動など、生きるのに欠かせない働きを担う。脳の中心を縦に貫く線に沿って生じるグリオーマは、その多くが共通の遺伝子変異を持つことがわかり、「びまん性正中グリオーマ(DMG)」と呼ばれる。このうち、脳幹の中でも「橋(きょう)」と呼ばれ、大脳と脊髄(せきずい)をつなぐ中継地点にできるものは「びまん性内在性橋グリオーマ(DIPG)」と言われる。 患者の多くは5~10歳前後の子どもで、大人が発症することは少ない。統計はないが、遺族団体によると、国内では年間に50人前後が発症するとみられている。治療法は見つかっていない。患者の半数は診断から1年未満に亡くなるとされる。ベッドに横たわる14歳の頃の林くららさん=2023年10月ごろ、前橋市(家族提供) 腫瘍は正常な脳の組織に染み込むように広がる。生命維持に関わる機能が損なわれる恐れがあり、手術で取り除くことができない。患者数が少なく、研究や薬の開発が進みにくい。 初期には、物が二重に見える、ろれつが回らない、体のバランスがとりにくいといった症状が出る。病気が進むと歩けなくなり、話すことも困難になり、食べ物をのみ込むことも難しくなる。 初めて医学的に報告されたのは1920年代。米国では2025年、症状を遅らせる初めての薬が「迅速承認」された。手が不自由になりながら林くららさんが記した理科のノート(家族提供)