piano ストーリー:父の死、生活苦…ピアニスト米津真浩さん、逆境の先に見つけた夢

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piano ストーリーストーリー 倉沢仁志毎日新聞 2026/7/24 16:00(最終更新 7/24 16:00) 有料記事 3963文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ピアニストの米津真浩さん=東京都目黒区で2026年6月10日、中川祐一撮影 「僕、ちょっと変わった生い立ちで……」 クラシック・ピアニストの米津真浩(ただひろ)さん(40)は、そう切り出した。 東京音楽大時代の2007年日本音楽コンクールで2位、岩谷賞(聴衆賞)を受賞。イタリア留学を経て、全国各地で演奏会を実施している。 一方で、YouTube(ユーチューブ)やSNSの動画配信でも幅広いファンを獲得している。 「ピアノはもう体の一部」と語る米津さん。 順風満帆のように映るが、その道中には、貧困や周囲からの冷笑に苦しんだ時期があった。 奏者のバックストーリーに迫るpianoストーリー、今回は活躍の場を広げる米津真浩さんにインタビューしました。8月のリサイタル情報はこちら 人気ピアニスト石井琢磨さんプロデュースのピアノプロジェクト「PIANO CLOVER(ピアクロ)」でも活動中。ピアクロメンバーで、「ピア兄」の愛称で親しまれる新井瑛久さんの記事もあわせてご覧ください。父の死を乗り越え 物心がつかない幼少期から、「音」には敏感だったようだ。 「母から聞いたんですけど……」と、米津さんは苦笑いで振り返る。 「幼い頃に入ったそば屋で、琴や三味線の音が流れている中で、泣き出して止まらなくなったそうです。妙に悲しい音色に感じたみたいで……。母がお店に『音楽を変えてくれませんか』と頼んだ、と話していました。今の時代ならクレーマーになっていたかもしれません(笑い)」 ピアノを始めたのは、4歳だった。幼稚園の先生が弾く姿に魅せられたことがきっかけだ。 だがほどなくして、父が倒れてしまった。 「小学1年生の頃に、父はがんで亡くなりました。治療でお金を使い果たしてしまったようです」 ピアノ教室も、やめないといけない――。 悩む親子に救いの手を差し伸べたのは、幼稚園の先生だった。 事情を知った先生が「親戚が教えているピアノ教室がある。お金はいらないから、遊びに来たら」とすすめてくれた。生活苦でどう練習? クラシック音楽を知ったのもちょうどその頃だ。 父の死後、母は昼夜を問わず仕事を掛け持ちして日々の生活費を稼いだ。  <この後の内容は> ・父の死 孤独を癒やしたピアノ ・お金がない…練習に工夫こらし ・音コンの受賞が転機に 母号泣 ・夢が定まったイタリア留学時代 ・今クラシックを響かせたい場所は? 「小学1年生とはいえ、母に苦労をかけたくないと思って、泣かないようにしていたんです。でも、心のよりどころがなくて。その時にピアノを弾くことでストレスが発散できた。救われていたんです」 鍵盤をたたけば、自分の感情を表現できる。そう感じた米津さんはますますピアノにのめり込んでいった。 生活苦で満足な練習環境は得られない。それでも、あらゆる努力や工夫ではねのけていった。 興味のある曲の楽譜を買う余裕が当時の家にないのは、幼心でも理解できた。 「だから楽器屋さんに行って…この記事は有料記事です。残り2762文字(全文3963文字)【前の記事】「練習してる?」ピアニスト新井瑛久さんが「ピア兄」になるまで関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>