2025年度の最終回イベントとして開催されたIM Labオープンセミナー「エコシステムイノベーションの現在」=東京都港区で2026年3月、AA creative works撮影 経営者イノベーション委員会(EIC)が2025年8月に開催した「経営者イノベーション・ラウンドテーブル」を契機に始動した、産学連携によるイノベーション・エコシステムの構築を支援する「イノベーション・マネジメント・ラボ(IM Lab)」。一般社団法人Japan Innovation Network(ジャパン・イノベーション・ネットワーク、以下JIN)主催により「IM Lab」の25年度の活動が行われ、その最終プロジェクト発表が26年3月7日に開催された。さらにこの日は、世界のクラスター開発、イノベーション・エコシステム、および地域競争力の向上を目的とした非営利のグローバル・ネットワークである「TCIネットワーク」(正式名称The Competitiveness Institute)との連携も発表された。 日本の産業界がいま、未曽有の転換点に立たされている。かつての「自前主義」や「単一企業の競争戦略」が限界を露呈する中、異なるプレーヤーが連携して新たな価値を創出する「イノベーション・エコシステム」が、生き残りのための唯一の解として浮上している。Advertisement この日、産官学が連携して次世代のイノベーション経営を模索するプログラム「IM Lab」の25年度の最終回イベント、IM Labオープンセミナー「エコシステムイノベーションの現在」が東京都内で開催された。多士済々たる登壇者たちの議論から見えた、日本経済復活への設計図をリポートする。戦略のパラダイムシフト――「競争」から「共創」へ開会のあいさつや趣旨説明が行われたオープニングの様子=東京都港区で2026年3月、AA creative works撮影 イベントの火蓋(ひぶた)を切ったのは、JINのChairperson(チェアパーソン)理事、紺野登氏だ。00年代以降の戦略トレンドの劇的な変化をデータで示した。 「かつての主役であったマイケル・ポーターの『競争戦略』への関心が低下する一方で、『イノベーション・エコシステム』の注目度は急上昇している。もはや1社で勝てる時代は終わり、エコシステム全体で価値を最大化する時代に突入した」 紺野氏は、日本企業のリーダー層も「エコシステム構築」を最重要経営テーマと認識しているものの、その「具体的な構築・管理手法」に迷っている実態を指摘。「IM Lab」の存在意義は、その「モヤモヤ」を理論と実践で解消することにあると説いた。共通言語としての「ISO56000」シリーズ エコシステムを構築する上で、最大の障壁となるのが「共通言語」の欠如だ。この問題に対し、JINの尾崎弘之氏は、国際標準化が進む「ISO56000シリーズ」の重要性を訴えた。 特に注目すべきは、現在策定中の「ISO56012(イノベーション・エコシステム・マネジメント)」だ。尾崎氏によれば、これは企業、政府、アカデミア、市民を巻き込むための「共通のフレームワーク」となる。 「オーケストレーター(調整役)」や「コンプリメンター(補完者)」といった役割の定義を共有することで、不透明だった連携のプロセスが可視化される。27年から28年にかけての正式発行を見据え、日本企業がグローバルな競争力を維持するためには、この「標準」をリテラシーとして装備することが不可欠だ。現場からの警鐘――「エゴ・システム」の罠を突破せよオープンセミナーのパネルディスカッションで実践報告を行う「IM Lab」の メンバーら=東京都港区で2026年3月、AA creative works撮影 パネルディスカッションでは、株式会社ジェイフィールのコンサルタント、佐藤将氏の巧みなモデレートにより、実践者たちの本音が飛び出した。SUNDRED株式会社代表取締役の留目真伸氏は、日本企業の多くが陥る「エゴ・システム(自社利益のみを追求する閉鎖的な系)」という罠(わな)を厳しく批判した。 「エコシステムを語りながらも、実際には顧客の囲い込みや自社主導のピラミッド構造を作ろうとして失敗するケースが多い。真のエコシステムとは、参加するすべてのプレーヤーが価値を得られる『利他的(アルトゥルイズム)』な設計から始まるべきだ」 この視点を補強したのが、株式会社富士通の仁英俊氏だ。同社は「Fujitsu Uvance」を通じ、AI(人工知能)と人を核にした「再生型エコシステム」の構築を進めている。仁氏は、異業種連携(クロス・インダストリー)を成功させる鍵として、信頼性の高い「データスペース」の構築を挙げた。 「1社でデータを囲い込むのではなく、安全に共有できる環境を担保することで、社会課題の解決とビジネスの成長を両立させる」。まさに、大企業がオーケストレーターとして振る舞うべき新たなロールモデルが示された。教育と地域の再生――「2040年問題」への逆襲 議論は産業論にとどまらず、社会の持続可能性と教育へも及んだ。北陸先端科学技術大学院大学教授の永井由佳里氏は、高齢者数がピークを迎える一方で働き手が大幅に減少する深刻な「2040年問題」を背景に、創造性の再定義を提唱した。 「これまでの教育が重んじてきた『高度な同質性』は、エコシステムにおいては足かせでしかない。必要なのは、異なる個性がぶつかり合い、新しい価値を共創する力だ」 東洋大学名誉教授の今村肇氏もこの意見に同調し、次世代(アルファ世代以降)に向けた「三層構造」の教育改革を提示した。正解を当てる能力ではなく、自ら問いを立て、AIと共創しながら行動に移す力。「知っている」だけでは世界は動かない、という強烈なメッセージが中高・大学教育の現場へ投げかけられた。 地域の具体的事例として注目を集めたのが、秋田県立大学教授の森田純恵氏による「農業DX(デジタルトランスフォーメーション)」の実践報告だ。 森田氏は、スペインのカタルーニャ地方などの先行事例を引き合いに、日本に欠けているのは「データ主権(Data Sovereignty)」の意識だと指摘した。農家自身にメリットがある形でデータを管理・活用するガバナンスを構築することで、初めて「熊の検出AI」や「遠隔操作ロボット」といった先端技術が地域の血肉となる。世界との接続――TCIネットワークとの戦略的提携欧州を拠点とする世界最大のクラスター・ネットワーク「TCIネットワーク」との連携発表の様子=東京都港区で2026年3月、AA creative works撮影 イベントのハイライトは、欧州を拠点とする世界最大のクラスター・ネットワーク「TCIネットワーク」との連携発表だ。TCIネットワークのプレジデント、パトリシア・バルデネブロ氏は、エコシステムが単なる経済的手段ではなく、社会・環境課題を解決するための「結合組織」であることを強調した。そしてイノベーション専門家のリシア・シール氏やヨハン・グルンドストレム・エリクソン氏らグローバルな知見を持つメンバーとの連携は、日本型エコシステムを「世界標準」へと押し上げる原動力となるに違いない。実験場としての「ラボ」――第2期への展望 イベントの締めくくりに、東京科学大学副学長の大嶋洋一氏は、「1年目は理論を学び、共通言語を構築するフェーズだった。しかし、エコシステムは頭で理解するだけでは作れない。2年目は、よりリアルな『実験(プロトタイピング)』のフェーズに入る。この「IM Lab」自体を一つのエコシステムとして、参加者全員が主体的に動く場にしたい」と述べ、地域や企業を巻き込んだ具体的なプロジェクトの始動を宣言。具体的には、留目氏らが準備する「エコシステム経営診断」パッケージの展開や、実際の地域課題に挑むワークショップなどが予定されている。 26年度の「IM Lab」第2期。そこは、理論が現実を動かし始める、最もエキサイティングな実験場になるだろう。