作家の雨宮処凛さん=西夏生撮影 「右翼」を自認するライター、編集者の梶原麻衣子さんと、作家、反貧困活動家で「左派」と目されがちな雨宮処凛さん。一見して対極的な立場のふたりが、今月から「左右の分断」を主なテーマに手紙のやりとりを始めます。ふたりは、いわゆる就職氷河期世代でもあります。極端な意見に流されてしまう人々の怒りや悲しみも、我がこととして受け止めるふたり。彼女たちの言葉は、どう「分断のわな」を乗り越えてゆくでしょうか。初回は雨宮さんのお手紙です。【鈴木英生】同じ国に住んでいるのに梶原麻衣子さま前略 こんにちは、雨宮処凛です。 20代前半だった頃の2年間、右翼団体に所属し、現在は「左派」と呼ばれることも多い私ですが、右翼の梶原さんはいかがお過ごしでしょうか。 このたびは、往復書簡の連載をご快諾いただき、ありがとうございました。何を隠そう、「梶原さんと往復書簡をしたい!」と言い出したのはこの私。なぜかというと、長年、深刻になるばかりの左右の分断を勝手ながら危惧しているからです。 何しろ私が右翼にいたのはインターネットも一般には普及していない1990年代後半。よって「ネトウヨ」なる言葉もなく、当時のバイブルは小林よしのり氏の漫画「戦争論」。また、右派と左派が「反米」「反自民党」で共闘する光景も私の周りではあり、2000年代前後にはよく「左右激突!」的なトークイベントもありました。 それがいつからか左右が同席するような場もなくなり、19年に慰安婦問題をめぐるドキュメンタリー映画「主戦場」を見た時には言葉を失いました。右派、左派ともに見えている世界も使っている言葉もなにひとつかすりもしない。同じ国で同じ言葉を話していてもこれほど断絶しているのかと愕然(がくぜん)としました。 もちろん、互いに批判すべきところはすべきでしょう。しかしSNS社会の到来以降、右派も左派も「身内受け」や「ファンサービス(ファンサ)」でより過激になっている部分があるのではないか。そこにアルゴリズムやフィルターバブルによって視野が狭まり、互いの「悪魔化」が極まれば、陰謀論の大好物になるという気もするのです。身内受けでは国益損なう ちなみに今月で高市早苗政権発足から1年ですが、私はこの1年高市首相がやってきたことは「ファンサ政治」だと思っています。例えば前の国会で成立した国旗損壊罪や皇室典範改正。そして次々と打ち出される外国人政策の厳格化。「庶民が物価高に苦しむこのタイミングで、なぜ?」と普通は思うはずですが、「ファンサ」と思うと納得です。 その他、熊本の被災地を訪れた際のエモ動画やX(ツイッター)で「アイロンがけ」など日常を小出しにする演出、はたまた日米首脳会談で「ドナルド」を連発するなども、ファンからすれば「サナちゃん、国際的な舞台で活躍して、トランプ米大統領と対等ですごい!」「それなのに家事も頑張ってて被災地も行って偉い!」ってなものでしょう。 先日、「予算カット」発言で簗和生農相が辞任しましたが、あれもわかりやすいファンサ政治そのものでした。 さて、梶原さんと初めてお会いしたのは…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事