ドナルド・キーンが描いた日本--生誕100年に:/番外編11 「おくのほそ道」エピソード5

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北陸路の難所「親不知」の海岸。断崖絶壁が続き、磯辺を歩くしかなかった。芭蕉が歩いたころの磯辺は現在、浸食して海中になっているという=新潟県糸魚川市で2026年10月18日、森忠彦撮影 日本文学研究者のドナルド・キーンさん(1922~2019)が1955(昭和30)年の晩春、松尾芭蕉の「おくのほそ道」を訪ねた足跡を追った文学ツアーの第3弾は、日本海の名所を巡る旅となった。2026年10月18~20日の3日間、新潟から富山、石川を経て福井まで。ファン20人あまりが参加し、俳句をひねりながらの秋の旅を楽しんだ。 最初に訪れたのは、新潟の西端にある親不知(おやしらず)。古代から知られる日本海側の難所で、北陸道を行く旅人を悩ませてきた。芭蕉たちも苦労して歩いたことだろう。 55年の旅では、実はキーンさんは新潟や富山県の名所は通過している。エッセー「紅毛奥の細道」によると、羽黒山に参詣した後は、恐らく鶴岡あたりから日本海側を走る急行に乗って一路、金沢へ向かった。時間がなかったのだろう。 「十時間の長い旅行でいよいよ金沢に着いた。途中で親不知、佐渡島などの名所を見ようとしたが、雨で何も見分けられなかった」 と書き残している。 現在でも「おくのほそ道」と言えば、松島(宮城)や平泉(岩手)、山寺や最上川(山形)あたりが人気スポットで、その後の行程は忘れられがちだが、芭蕉はその後、北陸路を経て大垣(岐阜)まで向かっている。実際、北陸路でも芭蕉はいくつかの名句を残した。 キーンさんもそのことはよく分かっていた。せめて車窓からでもと、右手に広がる曇天の日本海をうらめしそうに眺める姿が想像される。 現在、親不知から少し富山県境に進んだ「市振(いちぶり)」の集落には、芭蕉が宿泊した「桔梗屋跡」の案内板があり、近くの長円寺(ちょうえんじ)には句碑も建っている。 キーン訳による芭蕉の「おくのほそ道」を読んでみよう。IchiburiToday we passed through the most dangerous places in the north country, known as "Parents Forget Their Children," "Children Forget Their Parents," "Dogs Turn Back," and "Horses Return." …Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】/番外編10 ドナルド・キーンと石川啄木㊦