アイク生原さんとの思い出などを語る山本昌さん=福岡県香春町高野で2026年10月18日午後2時57分、松本昌樹撮影 現在の福岡県香春町の誕生70周年を記念する講演会が、同町高野の町民会館で開かれ、プロ野球・元中日投手の山本昌さん(61)が「継続する心」と題して講演した。同町での講演は、山本さんが米国留学時代に献身的な指導を受け、その後、プロ野球屈指の左腕に成長する土台を作った元米大リーグ・ドジャース職員の故アイク生原(本名・生原昭宏)さんの出身地という縁で実現した。 生原さんは県立田川高を卒業後、早大、社会人野球のチーム「リッカー」で活躍した。1965年、指導者になる勉強のため渡米。ドジャースの用具係を経て球団職員となり、後にピーター・オマリー会長のもとで会長補佐を務めた。92年にがんのため55歳で死去。2002年には、日米の野球交流に尽力したことが評価され、日本の野球殿堂入りを果たした。Advertisementアイク生原さんとの思い出などを語る山本昌さん=福岡県香春町高野で2026年10月18日午後1時46分、松本昌樹撮影二人三脚で練習した日々 アイクさんと山本さんの師弟関係は88年、プロ入りから4年間で1勝もできなかった山本さんを、当時、中日の星野仙一監督(故人)が「今のままでは球界に残れない。アメリカで教えてもらえば化けるかも」と、アイクさんに指導を依頼したのが始まりだった。納骨堂で遺影に手を合わせる山本昌さん=福岡県香春町香春の蓮華寺で2026年10月18日午前10時55分、松本昌樹撮影 山本さんは講演の中で「アイクさんは、僕にスローカーブを教えるため防具も付けずに毎日何百球も投球を受けてくれた。ワンバウンドの球が当たりアイクさんの膝やすねは紫色に腫れ上がっていた」など、アイクさんと二人三脚で練習に打ち込んだ日々を語った。 講演に先立って、アイクさんの葬儀が営まれた町内にある蓮華寺を34年ぶりに訪れ、遺髪や爪の一部が納められている納骨堂で手を合わせた。山本さんは「アイクさんとの出会いがなかったら野球選手としてこれほど頑張れなかった。200勝も沢村賞も殿堂入りも直接報告したかった。アイクさんは僕にとって野球の神様です」としのんだ。【松本昌樹】Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事