「この国が良くなることが…」福田元首相が地元で口にした信念

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自民党総裁選で新総裁に決まり一礼する福田康夫氏=自民党本部で2007年9月23日、川田雅浩撮影 元首相の福田康夫さん(90)が亡くなった。福田さんは、太平洋戦争末期、群馬県金古町(現・高崎市)にあった父・赳夫氏の生家に疎開した。特攻隊の訓練など使われた飛行場を知る人たちの証言をまとめたドキュメンタリー映画「陸軍前橋飛行場―私たちの村も戦場だった」(2018年、鈴木越夫原作・飯塚俊男監督)でのインタビューで疎開当時の生活を振り返っている。 金古国民学校の2年生に編入したが、登校しても毎日のように午前10時になると空襲警報のサイレンが鳴り、下校になったという。遊び道具がなかったため、稲わらを小さく切って小さな飛行機を作って遊んだ。自由に野山を走り回った経験が、晩年まで足腰の丈夫さにつながった、とも語っていた。 子供の仕事として、毎日草刈りをしたほか、軍服や学生服の繊維にするため、桑の木の皮をはぐ作業も手伝った。 疎開先の家は飛行場に近く、敵機の攻撃から飛行機を守るため、家の裏の竹やぶに隠した。飛行機が通れるように桑畑の道幅を広げ、大人と一緒に綱で機体を引っ張ったことも回想している。妻に誓った「政治家の女房には…」 福田さんは当初、政界入りするつもりはなく、大学卒業後は石油会社の丸善石油(現・コスモ石油)に入社した。妻貴代子さんと結婚する際には「政治家の女房…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事