佐々木禎子さんの遺影の前に立つ(左から)おいの祐滋さん、兄の雅弘さん、おいの住幸さん=東京都品川区で2026年10月25日午後3時30分、松原由佳撮影 「原爆の子の像」のモデルとして知られる佐々木禎子さんの遺骨が東京都品川区の春雨寺(しゅんぬじ)に分骨された。春雨寺は「平和の折鶴寺」として今後平和の祈りを発信していく。折り鶴のレプリカまつるほこらも 禎子さんは2歳の時に広島で被爆し、1955年、12歳の若さで白血病のため亡くなった。「鶴を千羽折れば願いがかなう」と聞き、病床で約1600羽の鶴を折った。Advertisement「平和の火」のともる灯籠(とうろう)と、佐々木禎子さんの折り鶴のレプリカがまつられたほこら=東京都品川区で2026年10月25日午後3時55分、松原由佳撮影 禎子さんの遺骨は両親とともにゆかりの地である福岡市内の寺で供養されていた。禎子さんの遺族はより多くの人にお参りしてもらおうと、今年10月、3人の遺骨を春雨寺に分骨し、菩提(ぼだい)寺とした。遺族が春雨寺の丹羽貴大住職(57)と長年親交があったことから実現した。 また、福岡県八女市でともし続けられている原爆の残り火「平和の火」が分火され、春雨寺の灯籠(とうろう)でともされることになった。平和の火や、禎子さんの折った鶴のレプリカをまつるほこらを参拝することができる。「もっと禎子の物語広めたい」分骨と分火の報告会で春雨寺に飾られた佐々木禎子さんの遺影=東京都品川区で2026年10月25日午後3時53分、松原由佳撮影 禎子さんの命日にあたる25日には分骨と分火の報告会が春雨寺で開かれた。禎子さんの兄雅弘さん(85)が禎子さんの闘病中の様子を朗読したほか、世界的ダンスアーティストのケント・モリさんによる舞の奉納なども行われた。 禎子さんのおいの祐滋さん(56)は「春雨寺を菩提寺にしたことを機に、国内に禎子の物語をもっと広めていきたい」と話した。【松原由佳】Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事