28年続いた日韓交互慰霊に幕 遺骨保管の元住職が抱える無念

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天徳寺の西谷徳道前住職=長崎県壱岐市で2026年9月18日午前11時42分、肥沼直寛撮影 韓国南東部の都市、慶州(キョンジュ)の水谷寺で20日、終戦直後に九州北西部の玄界灘で朝鮮半島出身者らの引き揚げ船が沈没した事故の慰霊祭があった。 犠牲者の遺骨が眠る長崎県壱岐市の天徳寺の西谷徳道(とくどう)前住職(77)は、複雑な思いで参加した。 慰霊祭は1998年から、コロナ禍を除いて毎年、日韓で交互に実施してきた。その交流が今回を最後に終わるからだ。2018年から天徳寺で遺骨を安置 天徳寺の鉄筋コンクリート造りの納骨堂の2階には、約400基の仏壇が整然と並ぶ。足音だけが響く空間の一角で、終戦を機に朝鮮半島へ帰ろうとしていた131柱の遺骨が眠る。 引き揚げ船は45年10月11日、台風に遭い、壱岐の芦辺港で沈んだとされる。この事故により確認された死者は168人。300人以上の乗船者のうち、生存者はわずか30~70人ほどと伝わる。 犠牲者は壱岐で埋葬され、その後の広島の市民団体による調査などによって、76年に計86柱の遺骨が発見された。身元の特定には至っていない。 遺骨は広島市内の寺院などを転々とした後、政府による一括管理となって、2003年からは埼玉県所沢市の寺院で収容された。 18年には、韓国へ遺骨を返還するよう長年政府に求めてきた西谷さんの働きかけもあり、「韓国からも参拝しやすい」などの理由から天徳寺に移された。「帰ろうとしていた古里から遠のいていく遺骨が可哀そうだった」と振り返る。…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事