笑顔でインタビューに答えるバレリーナの森下洋子さん=東京都港区の松山バレエ団で2026年6月26日午後4時25分、吉田航太撮影 長年、日本のバレエ界をけん引してきたバレリーナの森下洋子さん(77)。多くの踊り手が40代で舞台を去る中、喜寿を迎えても板の上に立つ。 その舞踊歴は今年で75年目。11月からは「くるみ割り人形」が控える。冬の代名詞といえる名作で主人公・クララを務めるため、稽古(けいこ)に明け暮れる毎日だ。 「日々新しい気持ちで取り組んでいます」。森下さんは意欲を燃やす。 前編:「よう、森下!」級友たちとの友情今も バレリーナ森下洋子さん野球選手通った「きっちんもりした」 <女性の社会進出が現在より進んでいなかった昭和の時代、料理上手だった母は飲食店を開いた> 母は主婦でしたが、ものすごくお料理が上手で、デコレーションケーキなどを作ってくれました。すべてが手作りだったので、小さい頃におやつというものを買ったことがないんです。近所のママたちを集めて、お料理を教えていたこともあったんですよ。そのぐらい上手で、なにより料理が好きな人でしたね。 父はサラリーマンでしたが、私が小学3年の頃からレッスンで東京へ通う回数が増え、父の収入だけでレッスン代などを工面するのが、少し大変になったのです。その時、母が「じゃあ、お店をやろう!」って発案して「きっちんもりした」を開店しました。広島市内の本通という一番の繁華街。母は着物にかっぽう着を着て、分厚いお肉を焼いていたのですが、その姿がかっこよかったです。 木造の建物であまり大きなお店ではありませんでしたが、皆さんに喜んでいただきました。繁盛して忙しくなったので、父も会社を辞めてお肉を切り分ける仕事を担当していましたね。プロ野球の広島カープや、遠征で来た巨人の選手らがステーキを食べに来てくれたり、後に取材で会った記者の方から「よく食べに行っていました!」と声をかけてもらったりしました。 母に理由を聞いたことはありませんでしたが、働いてくださった従業員の方は全員女性でしたね。「私以上にバレエが好きな人」と結婚 <1976年、現在松山バレエ団総代表を務める清水哲太郎さんと結婚した。男性が働き、女性が家庭を守るという考えが今よりも根強い時代だった> 正直に言うと結婚願望はなかったんです。両親も「バレエにあげた子」だと思っていたのか、「結婚しなさい」とは言いませんでした。踊りに対する思いを理解してくれたのだと思います。 私自身は、もし結婚するなら、私以上にバレエが好きな人、愛してくれる人でなければダメだと思っていました。そうしたら、私よりもバレエが好きで熱量のある哲太郎さんと出会ったのです。 結婚しても「女性の私が家庭に入る」という考えはなかったですね。正確に言えば踊りのパートナーが人生のパートナーとなったので、考えなくて済んだのだと思います。もし、当時の一般的な家庭のように、奥さんとして子育てをするというファミリー像を求める人だったら、私は絶対に結婚してなかったでしょう。 松山バレエ団創設者で哲太郎さんのご両親に当たる清水正夫先生、松山樹子(みきこ)先生にとって、哲太郎さんは清水家の唯一の跡取りですが、「孫の顔が見たい」といったことは一切おっしゃりませんでした。当時は今以上に性別による壁が社会の中にあったと思いますが、バレエに集中できる環境や出会いに恵まれ、自分の中で壁を感じることはありませんでした。踊ることに理解を示してくれた両親、そして清水先生、松山先生には感謝の気持ちでいっぱいです。「金メダルよ!」の声にプレッシャー <1974年、ブルガリアで開かれたバルナ国際バレエコンクールで日本人初となる金賞を受賞した> 私が出場した唯一のコンクールです。バレエは芸術なので、点数を付けるものではないと思っていました。ただ、私自身、世界の人たちがどのように踊っているのか、見たことがありませんでした。バルナに行けばいろいろな国の方々の踊りを見ることができると思い、出場を決めました。 日本から海外に行くのが珍しい時代だったこともあってか、コンクールに出場することが…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】「よう、森下!」級友たちとの友情今も バレリーナ森下洋子さん関連記事