ヒバクシャ:自慢の姉ちゃんを奪った原爆 張本勲さんが晩年まで抱いた怒り

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言葉を詰まらせながら、半生を振り返る張本勲さん=東京都内で2020年1月13日、山田尚弘撮影 2006年10月11日、記録報道「ヒバクシャ」は、元プロ野球選手の張本勲さんの激しい怒りで幕を開けた。その2日前、北朝鮮が初めての核実験を強行したことに憤り、落胆していた。今年9月、張本さんが86歳で亡くなる4日前の取材で口にしたのも、最愛の姉を奪った原爆への消えない怒りだった。 記録報道ヒバクシャは今秋で開始から20年となりました。初回から取材に応じていただき、今年9月に亡くなった張本勲さんが最後の取材で語った言葉のほか、同じく20年前から取材を続けてきた胎内被爆者の女性の子や孫への思いを描きます。帰ってこなかった長姉 ウクライナ、パレスチナ自治区ガザ地区、イラン……。世界各地で戦争が続く現状について問うた時だった。「たとえば『原爆が戦争を早く終わらせた』と言うけど、ふざけたことを言っちゃいけないよ。あんたの両親、きょうだい、子どもがケロイドになったのを見ても、そう言えるのか」。口調が急に熱を帯びた。 5歳の時、爆心地から約2・3キロの広島市段原新町(現南区)の自宅で、原爆の閃光(せんこう)を浴びた。平屋建ての長屋の自宅は爆風で倒壊したが、母親が張本さんと2歳上の次姉に覆いかぶさってくれ、けがはなかった。母親の背中にはガラス片が突き刺さり、白い服が真っ赤な血で染まっていた。 空襲に備えて建物を取り壊す「建物疎開」の作業に動員されていた長姉と兄が帰るのを待つという母親に促され、張本さんは次姉に手を引かれて近くのブドウ畑へ逃げた。 そこで一家が再会できたのは数日後。母親の背中のガラス片は刺さったままだった。兄は、やけどをした腕にちぎった布を巻いていた。長姉の姿はなかった。自慢の姉の変わり果てた姿に…… 12歳だった長姉の点子(てんこ)さんは背が高く色白で、…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】「黒い雨」浴びた記憶と闘病 80歳超の原告が問う「被爆」の線引き関連記事【最新記事】