ヒバクシャ:熱風・閃光知らずとも「やれることを」 子へ孫世代へ示す生き方

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居室に面会に来た長男の明さん(右)、長女の由佳さん(左)と語らう中野陽子さん=2026年9月12日、青木絵美撮影 夫を亡くした後に入居した老人ホームの個室。9月の土曜の午後、長女夫婦と長男が姿を見せると、ベッドに腰掛けた中野陽子さん(80)=福岡県福津市=は笑顔で迎えた。 中野さんは、毎日新聞が続ける記録報道「ヒバクシャ」の取材に、被爆者でも最も若い「胎内被爆者」の一人として応じて20年になる。「もうおばあちゃんだから」。そうほほえみながらも、核の現状に話が及ぶと、毅然(きぜん)とした表情を見せた。母のおなかの中で被爆 中野さんを囲み、長男の明さん(52)と長女の福田由佳さん(55)が子どもの頃を振り返った。「食卓で、社会で起きていることや原爆の話題を話したよね」 長崎原爆の爆心地から約3キロの自宅にいた母(2000年に77歳で死去)の胎内で被爆し、約半年後に生まれた。原爆の熱風や閃光(せんこう)を直接知らない。被爆について、爆心地から約1キロ南の三菱製鋼の建物内にいた父(15年に99歳で死去)から一度だけ証言を聞いたことはあったが、母から話を聞いたことはなかった。中野さんは自身が経験した戦後の出来事や記憶を通し、原爆の非道を語ってきた。 爆心地近くにある母校の長崎市立城山小学校では、被爆児と非被爆児が半々の「原爆学級」で過ごした。長崎にあった米原爆傷害調査委員会(ABCC、現・放射線影響研究所)の拠点に定期的に連れて行かれ、身体や血液の検査を受けた。土産にチョコレートやクッキーをもらって家に帰ると、母はそれを黙って捨てた。記録見て理解 母の言葉の意味 母はよく言っていた。「私たちは何も悪いことはしていない。堂々と前向きに生きなさい」。そして「いろんな勉強をして『知らなかった』ということがないようにしなさい」とも。 後年、中野さんが開示されたABCCの資料を見ると、自分の体の細胞まで調べ上げて被爆の影響を探った記録が残されていた。「私たちは人間モルモットにされた」。憤慨すると同時に、母が土産の菓子を捨てた行動も言葉の意味も理解できた。 この20年、中野さんの取材は…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】自慢の姉ちゃんを奪った原爆 張本勲さんが晩年まで抱いた怒り関連記事【最新記事】