裁判Plus 司法のリアル毎日新聞 2026/9/2 07:01(最終更新 9/2 07:01) 1110文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷和解が成立し、支援者に拍手で迎えられる大阪HIV訴訟の原告団。薬害訴訟は、提訴から7年で決着した=大阪地裁で 非加熱血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染した血友病患者と遺族が国と製薬会社を訴えた「薬害エイズ訴訟」で、30年前に和解を勝ち取った当事者たちが、初の手記集「その扉の向こうに 和解から30年 遺族の軌跡」を出版した。 30年間、胸の奥にしまい込んできた苦しみを明かし、偏見や差別、そして薬害のない社会を願う思いをつづっている。Advertisement 手記をまとめたのは、大阪訴訟の遺族らでつくる「たんぽぽの会」。大阪、京都、兵庫、奈良、滋賀、石川といった地域に住む遺族を中心に、患者や会を支えてきた弁護士、臨床心理士ら計30人が寄稿した。 中学生だった息子のHIV感染を知った父親は、夜間警備の仕事中に人知れず涙した記憶をたどった。息子の亡きがらは医学のために献体。後に「内臓がぼろぼろになっていた」と聞かされたという。 息子を亡くした母親は今も消えない自責の念を記した。「私の処(ところ)に生まれてこなければまた別の人生を長く幸せに生き続けられたのかもしれなかったでしょうに、ごめんなさいね」薬害エイズ訴訟を巡る主な出来事 薬害エイズは1980年代に社会問題化した。HIVが混入した非加熱血液製剤を経由して、血友病患者1600人以上がHIVに感染したとされる。 今では薬の服用で発症を抑えられる病気だが、当時は「死の病」と恐れられ、患者や家族は感染と差別という二重の苦しみの中で生きることを余儀なくされた。 患者と遺族は89年、東京、大阪地裁に提訴。96年に国と製薬会社が薬害を発生させた責任を認め、患者側に補償する内容で最初の和解が成立した。 和解成立後も、たんぽぽの会は、病名を明かすことさえできなかった遺族同士がお互いの心の痛みを分かち合う場となってきた。 戦後最大級の薬害の実相を後世に残そうと、会が中心となって手記を募り、約2年半かけて今春、出版にこぎつけた。 病名や被害を公にすることへのためらいは今も残り、手記を寄せた遺族20人のうち12人は匿名・仮名で執筆した。 「書こうと思っても書けない」と寄稿を断念した当事者もいたという。 手記集のタイトル「その扉の向こうに」は、ようやく少し開くことができた心の扉の先に、薬害のない未来があってほしいという願いが込められている。薬害エイズ訴訟の和解から30年となり、長男を亡くした経験を明かした杉山千波さん=大阪市北区で2026年6月11日午後3時27分、林みづき撮影 会の共同代表、杉山千波さん(73)は「心の奥底にある苦しみは消えないが、手記を出せたことは私たちにとっての集大成。エイズに限らず、社会にはさまざまな差別が存在する。無意識のうちに差別する側に立ってしまっていないか、考えるきっかけにしてほしい」と話している。 手記はA5判262ページ(図書出版木星舎、税別2000円)。問い合わせは木星舎(092・833・7140)。【林みづき】【前の記事】小4の息子に「5年の命」の宣告 エイズと闘った母が破った沈黙関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>