毎日新聞 2026/8/12 07:25(最終更新 8/12 07:25) 780文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷国際協力銀行の総裁に就任し、記者会見する奥田碩氏=東京都千代田区で2012年4月2日11時36分、丸山博撮影 元経団連会長でトヨタ自動車の社長、会長を務めた奥田碩(おくだ・ひろし)さんが8日に死去したことが12日、関係者への取材で分かった。93歳。 三重県出身。1955年に一橋大を卒業し、トヨタ自動車の前身のトヨタ自動車販売に入社。主に経理畑を歩み、95年、創業家以外から28年ぶりに社長に就任した。ハイブリッド車「プリウス」を97年に世界で初めて量産したほか、98年にはダイハツ工業を子会社化。海外にも積極的に進出した。99年から2006年まで会長を務めた。Advertisement 99年5月に根本二郎氏から日経連会長を引き継ぎ、02年には日経連と統合した経団連の会長に就き、06年まで務めた。 企業の社会的責任(CSR)の推進を打ち出し、04年にCSR指針を発表。00年に発覚した三菱自動車のリコール隠しや02年の東京電力による原発のトラブル隠しなどで失墜した、企業への信頼の回復に尽力した。 一方、政治献金を企業の社会的責任と位置づけ、「政治にカネも出すが口も出す」として、故平岩外四経団連会長が93年に中止を決めた政治献金あっせんを04年から事実上再開。経団連は自民党支持へ大きくかじを切った。郵政民営化が問われた05年の衆院選で、経団連加盟企業を選挙運動に動員し、自民党大勝を支えた。 森喜朗首相(当時)が01年に発足させた経済財政諮問会議の議員に就任。小泉純一郎首相の在任時にも引き続き諮問会議議員を務め、経済・政治・行政改革、規制緩和を柱とする小泉構造改革路線を推進した。また、靖国問題で冷却化した日中関係の正常化を図り、民間外交を進めた。 09年の政権交代後も政財界に影響力を維持し、日本郵政の民営化見直しや経営陣刷新などで力を振るった。12年からは国際協力銀行の総裁も務めた。 18年にトヨタの相談役を退いた。J・フロントリテイリングの社長、会長を務めた奥田務氏は実弟。あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>