1945年の石油危機:若き操縦士 「せき込むエンジン」アルコール燃料に苦労も

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1945年の石油危機インタビュー 高橋昌紀毎日新聞 2026/8/13 11:01(最終更新 8/13 11:01) 有料記事 1732文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷元陸軍少年飛行兵・上野辰熊さん。戦後は自衛隊を志望したが、母親に反対されたという=埼玉県新座市で7月29日午後5時42分、高橋昌紀撮影 太平洋戦争末期、15歳で陸軍少年飛行兵になった上野辰熊さん(98)は、特攻用の飛行訓練などを重ねて九州の部隊へ配属される。そこで直面したのは、厳しい燃料事情だった。敵機来襲のとき、下された命令は。低い出力、せき込むエンジン ――アルコールが航空機の燃料に使われたことはあるのでしょうか。 ◆あります。操縦したことがありますよ。朝鮮半島の平壌にいた1945年4月ごろ、高練(99式高等練習機)で実験しました。エンジンのキャブレター(気化器)を交換し、100%のアルコール燃料を使用して、飛ぶことはできました。 ただ出力が低い。燃えないんです。ブスン、ブスンとエンジンがせき込む。これでは戦闘はできない、という結論でした。松根油のドラム缶もあったが、こっちも無理だろうと。とても使う気にはなれませんでした。 ――当時の所属は。 ◆主に操縦士を訓練する宙527部隊(第23錬成飛行隊)です。単発・固定脚の99襲(99式襲撃機)でトーチカ、戦車などを攻撃するのが任務ですが、45年1月ごろから対艦攻撃の訓練をするようになった。高度1000メートルから45度で急降下し、地上20メートルの超低空を水平飛行して標的に接近する。「ああ、特攻をやらせる気だな」と思いました。3月に意思確認があり「熱望」と記入しました。 ――特攻出撃はなかったのですか。…この記事は有料記事です。残り1163文字(全文1732文字)【前の記事】灘の酒蔵に眠っていた軍事文書 アルコールで戦闘機は飛ぶのか関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>