岩手・釜石で戦没者追悼・平和祈念式 米英軍から2度の艦砲射撃

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毎日新聞 2026/8/9 20:42(最終更新 8/9 20:47) 687文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷約140人が参列した戦没者追悼・平和祈念式=岩手県釜石市で2026年8月9日、奥田伸一撮影写真一覧 太平洋戦争末期の1945年夏に米英軍の軍用艦による「艦砲(かんぽう)射撃」を受け、市民や外国人捕虜ら782人が犠牲になった岩手県釜石市は9日、戦没者追悼・平和祈念式を開催した。約140人が参列し、慰霊と戦災伝承への思いを深めた。 釜石には戦時中、軍需産業に不可欠な製鉄所と鉱山があり、米英軍の攻撃対象とされた。艦砲射撃は7月14日と8月9日の昼過ぎにそれぞれ2時間あり、判明分だけで計5346発の砲弾が製鉄所や社宅などに撃ち込まれた。艦砲射撃に2度遭ったのは日本本土では釜石だけだった。Advertisement 式典は2回目の艦砲射撃があった8月9日に毎年開かれている。小野共市長は式辞で「私たちは釜石で失われた一人一人の命に思いを寄せ、その悲しみを決して忘れてはならない」と述べた。 県立釜石高3年の川崎夏織さん(18)、川崎由花梨さん(17)、古川明弥(めいや)さん(17)は、学校の活動で、戦時中、市内にあった捕虜収容所の所長だった男性の手記を基に、パワーポイントで紙芝居を作ったことを発表した。 男性が捕虜の処遇に腐心したことを描いた内容で、7月に小学校で6年生向けに上演した。3人は「戦火の下でも、人間同士の心のつながりがあったことを易しい言葉と絵で表現した」と語った。 式典に参列した高橋忠さん(83)は終戦時2歳。釜石駅前にあった自宅が火災の延焼を防ぐ「建物疎開」で取り壊され、別の場所に転居していたため、艦砲射撃に遭わずに済んだという。 年の離れた兄が旧満州(現中国東北部)で戦死した高橋さんは「戦時中の記憶はかすかしかないが、兄への思いもあって足を運んだ」と語った。【奥田伸一】あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>