「禎子の折り鶴」に抱いた不安 被爆2世が見いだした存在価値

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毎日新聞 2026/8/9 07:15(最終更新 8/9 07:15) 有料記事 1937文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷香川県立観音寺第一高校定時制の生徒らに語り部として講演する藤井明さん=同県観音寺市で2026年7月9日、藤井さん提供 物心つく頃から、父が被爆者だと分かっていた。子どもの頃は被爆2世だと意識させられる度に、いやな気持ちになった。でも今は違う。被爆者の高齢化が進む中、2世だからこそ存在価値がある――。香川県原爆被害者の会事務局長の藤井明さん(71)=高松市=はそんな思いを胸にこの夏も語り部活動を続けている。 「禎子の折り鶴」の佐々木禎子さんの物語は原爆の悲劇と平和への祈りを象徴する物語として知られる。2歳で被爆し、12歳で白血病で亡くなるまで病気からの回復を願って鶴を折り続けた禎子さん。だが物語を知った藤井さんの受け止め方は違っていた。「被爆2世の自分も白血病になるのでは」。折り鶴を見ると不安になった。原爆資料館、展示品にショック 藤井さんの父四朗さん(1995年死去)は同県丸亀市で生まれ、45年に17歳で広島高等師範学校(広島市)に入学。原爆が投下された8月6日午前8時15分には、校舎で掃除をしていた。爆心地から約1・3キロにあった校舎は全壊し焼けた。四朗さんは爆風でガラスの破片が体中に突き刺さったまま、市内を逃げ惑った。 死体が折り重なるように浮かんでいた川の縁では、若い女性が放心したように空を眺めていた。「早く逃げないと」と思いながら通り越し、振り向くと、女性の顔の半分が焼けただれていたという。 四朗さんは戦後、香川県で高校の社会科教師になった。授業中に生徒らに被爆体験を「鬼気迫る」ように語ったこともあったが、家庭では途切れ途切れにしか話さず、67歳で亡くなった。 藤井さんは小学校高学年になって、四朗さんに連れられて広島市の原爆資料館に行った。四朗さんから直接説明を受けた記憶はないが、展示品を見てショックを受けた。目に焼き付いて離れず、1週間ほどは十分に眠れなかった。中学生の頃まで不安感を抱えていた。「被爆者が結婚しても…」 「父は、私が生まれる時は不安だっただろう」。原爆投下の9年後に生まれた藤井さんはそう想像する。 当時は結婚差別があり、被爆者と知られると断られる人も多かった。結婚後も子どもが無事に生まれるか、生まれた子どもの体調が少しでも悪いと「被爆のせいでは」と不安がついて回ったという。 以前、伯父(四朗さんの兄)にこんな話を聞いたことがある。 四朗さんに結婚の話が持ち上がった時に兄弟で相談して、大学医学部の先生に「被爆者が結婚しても大丈夫ですか」と手紙を出した。「明確に障害が出ることはないと思われる」と返信が届き、「結婚への不安が軽くなった」のだという。原爆被害者の会に入ったきっかけ 藤井さんは高校に入学し、将来の進路を考えるようになると視野が広がり、不安感は薄れてきた。「2世であることをくよくよしても先は見えないと感じるようになったのだろう」と振り返る。 大学では社会福祉を学び、香川医療生協高松平和病院(高松市)で事務職員として働き始めた。同生協は行動指針の一つに「平和を守り、社会福祉の前進に寄与」を掲げる。藤井さんは被爆者の生活相談に乗ったこともあり、同生協が取り組む平和運動にも参加した。 県原爆被害者の会に入ったのは、…この記事は有料記事です。残り652文字(全文1937文字)関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>