優しかった臨月の母を思って 94歳女性、参列者を代表し献花へ

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毎日新聞 2026/8/9 10:00(最終更新 8/9 10:00) 1072文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷母を原爆で失った経験を語る被爆者の中尾百合子さん=長崎市で2026年7月29日、尾形有菜撮影 臨月だった母は、出かけたきり、帰ってこなかった。爆心地近くで赤ちゃんと大人の遺体があったと聞いた。「それは母だったのだろう」と今も思う。 長崎県時津町の中尾百合子さん(94)は9日に営まれる平和祈念式典で、母を思い参列者代表として献花に臨む。Advertisement「税金を払ってくる」と出かけたきり 1945年8月9日、中尾さんは午前5時に起き、弁当を作って学校へ向かった。玉木高等実践女学校(現長崎玉成高)1年で当時13歳。「駅前に焼夷(しょうい)弾が落ちた」と聞き、自宅に引き返した。中尾百合子さんの母、梅さん=中尾さん提供 入れ替わるように、出産を控えた母、梅さん(当時37歳)は「税務署で税金を払ってくる」と言い、長崎市の市街地に向かった。 弟3人と留守番を頼まれた中尾さんは、10歳と7歳の弟が近くの山にまきになる枝を拾いに行っている間、自宅でジャガイモやカボチャを鉄鍋に入れて昼食を準備し、4歳の末弟の面倒を見ていた。 突然「バーン」とものすごい音がし、正面から煙と燃えかすが飛んできた。鍋もひっくり返り、灰だらけになった。 爆心地から約4キロ。急いで末弟を連れ、防空壕(ごう)代わりの穴の中に逃げた。枝拾いに行った弟2人は木に登っていて爆風で落とされたが無事だった。 夜になっても母は戻らなかった。末弟は「母ちゃーん、母ちゃーん」と泣いて恋しがった。 翌日、母を捜しに行った近所の人が、爆心地から約1・1キロの三菱重工長崎兵器製作所大橋工場付近に、腹から赤ちゃんが飛び出した遺体があったと教えてくれた。 「母かもしれない」 中尾さんも11日にその場所を目指した。母は中尾さんが作った紺色の着物を着て出かけていた。見ればすぐ分かると思ったが、たどり着けなかった。復員した父の言葉 後に聞いた話では、母は自分の兄や知人のところに寄っていた。長崎税務署は爆心地から約3・3キロ。 「真っすぐ税務署に行っていれば助かったかもしれない」 出征した父が帰ってくるまで、近所の人に支えられながら、爆風で傾いた自宅できょうだい4人で過ごした。 9月に復員した父は、親戚から「梅(母)が戻ってきていない」と聞くと、自宅で何も言わずに末弟を抱き上げた。皆で仏様の前で3時間ほど拝んだ。父は言った。 「お前たちだけでも残っとってくれて良かった」 おしゃれが大好きで優しかった母を失い、中尾さんは母親代わりとなった。毎年8月9日には、妊婦の遺体があった場所を家族で訪れ、近くの川に花を流して慰霊してきた。 「母ちゃん、元気に過ごせるよう守っとってね」。手にした母の遺影にそう語りかけるつもりだ。【尾形有菜】関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>