朝日新聞記事深掘り2026年8月12日 11時00分有料記事星乃勇介 熊本地震で家を失った被災者の中には、81年前の戦争や過去の震災で命を落としかけた人がいる。再び試練に直面したいま、思うことは。 敗戦間近の1945年7月1日深夜。軍都・熊本市は米軍のB29爆撃機154機の集中攻撃を受け、市街の約2割が焼失し、数百人が亡くなった。熊本大空襲だ。 当時、小学校3年だった境惇子さん(89)は、熊本市中央区の自宅にいた。1、2歳だった妹を、炎から守るためにぬらした布でくるみ、背負った。熊本大空襲の様子を話す境惇子さん=2026年8月7日午後1時10分、熊本県宇城市・松橋西防災拠点センター、星乃勇介撮影 妹はパニックで泣きわめいた。構わず近くの防空壕(ごう)に走り込んだ。目の前の橋が、中央から焼け落ちていった。 翌朝、我が家は黒こげの柱と、コンクリートの基礎しか残っていなかった。地面に埋めておいた大事な靴や服も焼けていた。 生きのびたうれしさより、物不足の中、宝物が消えてしまったことの方が悲しかった。仮に再建を始めても… 親の実家がある(現在の)熊本県宇城市に移り、戦後は、特別養護老人ホームの職員として、長く働いた。 7月28日の地震の時は、自宅にいた。 10年前の地震では、障子が外れた程度だったが、今回は玄関も、柱も壊れ、タンスも冷蔵庫も倒れた。家自体がつぶれるところだった。 どうにか外には出られたものの、住める状態ではない。避難所に行くしかなかった。 すでに卒寿。仮に再建を始めても、完成する前にお迎えが来てしまう、と諦めた。そもそも、そんなお金はない。 だからといって子どもの家に行くつもりもない。2人いるが、それぞれに生活がある。1人で気ままに生きてきたから、いまさら誰かとペースを合わせて暮らすのは無理だ。「生かさるるだけ」 そして、地元を離れるつもりもない。2次避難も、仮設住宅も、できればゴメンだ。長年住んだ自宅のそばにいたい。いま、自力で近くの空き家を探す。 「こんな目に遭うなんて、長生きし過ぎちゃったね」 苦笑いしながらも毎朝、避難所の駐車場をてくてく、千数百歩ウォーキングする。「戦争と地震とくぐって、生かさるるだけ、生きるばい。体が続く限り生きねばね。しょんなかよ」 ◇…【この記事の続きが読める】有料記事が読み放題のスタンダードコースが初回1カ月無料!詳しくはこちら宅配紙面の購読者なら、ダブルコース半年割がお得です。詳しくはこちらこの記事を書いた人星乃勇介帯広支局長専門・関心分野防災・1次産業・不登校・人口減・公共交通・お産関連トピック・ジャンル関連ニュースこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ8月12日 (水)イオン再入館「認めた」日航機墜落事故 きょう41年原爆ドーム 世界遺産30年8月11日 (火)鶏肉はしっかり加熱を災害救助法の適用、増加傾向「マルサ」にも時代の波8月10日 (月)熊本地震、子どもの居場所はパチンコ店で車内放置506人大学入試に「男子枠」8月9日 (日)長崎、きょう被爆81年フラット35 年3.29%少年ジャンプ100万部割れトップニューストップページへ遺品に虎のネクタイピン 日航123便に乗った阪神タイガース社長0:01福岡県議会の「ドン」肝いりのワンヘルス事業、知事が当面凍結を表明11:10西寄りに進んだ台風15号、熱帯低気圧に 過ぎ去った後も大雨の恐れ11:29奥田碩さん死去 トヨタでHV投入前倒し、財界変革めざしたリーダー2:15大学1年生の充実した日々 「ゆる中学受験」の成功が導いた目的意識10:00なぜ「男系男子」にこだわるのか 皇室典範、原武史さんが読み解くと8:00