「私はかごの中の鳥」 突然のダブルケア、女性が直面した7年の孤絶

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「私ってかごの中の鳥みたいですよね」。中田みゆきさん(仮名)はそうあっけらかんと笑った=千葉県内で2024年1月5日、内藤絵美撮影 「私ってかごの中の鳥みたいですよね」 2024年1月、中田みゆき(42)=仮名=は、自宅のベランダから冬の澄んだ空を見上げながら、あっけらかんと笑った。 青いキャンバスを、真っ白な雲がゆっくりと流れていく。その姿に、自分にはない「自由」を重ねた。 階下のリビングに戻れば、逃れられない「現実」が待っている。 みゆきは、静かに息をついた。 78歳の母千代子(仮名)は要介護5で寝たきりの生活を送る。そばでは発達障害と診断され、不登校が続く長女のナナ(11)=仮名=がテレビに夢中だ。Advertisement 介護と子育てを同時に担う「ダブルケア」。 みゆきが直面した孤絶の日々は、一本の電話からはじまった。【井手千夏、斉藤朋恵】「暗黒の時代」に倒れた母 17年秋。自宅でスマートフォンを手に取ると、千代子の名前が着信画面に映し出されていた。 「スーパー帰りに電話してきたのかな」 何気ない連絡だと思った。 胸騒ぎに変わったのは、耳元から知らない男性の声が聞こえた時だ。 男性は「消防の者」と切り出し、矢継ぎ早に言葉を並べた。「時々空を見上げるのが唯一の息抜きです」と話していた中田みゆきさん(仮名)=千葉県内で2024年1月5日、内藤絵美撮影 「お母さまが道路で倒れたようだ」「ろれつが回っていない。体にまひもある」 千代子は脳出血を発症していた。一命を取り留めたが左半身にまひが残り、寝たきりになった。 「これから母をどうすればいいのだろう」 頭をよぎったのは、愛娘のことだった。 当時2歳だったナナの子育ては、思うように進まなかった。 言葉がなかなか増えず、野菜やフルーツを一切口にしない偏食にも悩まされた。夜間は3時間ごとに目を覚ました。 育児を手伝ってくれる母に対し、夫は仕事優先の人だった。連日の不眠とストレスで疲弊していた。 「そんな『暗黒時代』に母が倒れたんです」 医師は家庭への負担を心配し、千代子を施設に入所させることを勧めた。 ただ、みゆきは決め切れずにいた。 千代子は見舞いに来る孫に喜び、ナナも祖母の前で安心した表情を見せていたからだ。 「家族で楽しい思い出をいっぱい作りたい。やっぱり、母を自宅に連れて帰ろうって思ったんです」 季節は移ろい、冬が終わりを告げる頃。みゆきはダブルケアの担い手となった。 だが、その現実は想像をはるかに超えていた。自宅で介護漬け 夫とは離別、過酷な日々 特に、夜は「魔の時間」だった。マイホーム1階のリビングで長女の肩を抱きながら、寝たきりの母にも声をかける中田みゆきさん(仮名、中央)=千葉県内で2024年1月5日、内藤絵美撮影 リビングに置いた千代子のベッドの横で、みゆきは布団を敷いてナナと寝ている。 「ねえねえ、ちょっとおむつ見てよ」 千代子は不安を感じるたびにベッドをたたき、みゆきを呼んだ。 音を聞いたナナも目覚めては奇声を発し、暴れた。 どうすることもできず、何度も耳をふさいだ。 「1日2~3時間寝ることができればまし。母が出かける週2回のデイサービスの間だって家事でほとんど休めなかった」 ナナは外出を嫌がり、みゆきは自宅にこもるようになった。 千代子は年を重ねるごとに衰弱し、会話も難しくなった。おなかには栄養を取るための「胃ろう」の穴を開けた。 朝昼晩はこの穴から管で胃に水分や栄養を入れ、たんの吸引やおむつ交換も欠かせなかった。 食料や日用品は宅配かネット通販に頼り、美容院は年1回。自分の健康診断を受けたことはほとんどない。 家庭の悩みを打ち明けられる友人もいなかった。すれ違いから、夫とも別れた。 小学生になったナナに学校へ通ってほしいと、一緒に登校したこともあった。中田みゆきさん(仮名)が、母親の健康状態を書いていたメモ。介護中は毎日欠かさず書き込んでいた=千葉県内で2024年1月5日、内藤絵美撮影 しかし、ナナは決まって校門の前で尻込みし、時間が過ぎた。 「もうすぐばあばにお水入れる時間だから、ママ帰らなきゃ」 「わたしも帰る」 千代子の胃ろうがあるため、家を空けられる時間は限られていた。 みゆきは仕方なくナナと自宅に引き返した。 いつからだろうか。 社会とのつながりを失っていくなかで、母と娘がいないマイホームの2階に上がり、空を眺めることが「唯一の息抜き」になった。 <いくら感情にふたをしても、ロボットのようには生きられない> 当時のみゆきはブログにそんな思いを書き残していた。突然終わった介護 看護師からのねぎらいに涙 突然、訪れたダブルケア。その終わりもまた、前触れなくやってきた。長女の傍らで母親の介護をする中田みゆきさん(仮名、中央)=千葉県内で2024年1月5日、内藤絵美撮影 24年5月12日。その日、みゆきは千代子を泊まりがけでショートステイに預けていた。 深夜、急に看護師から連絡が入った。 「呼吸が浅くなっている。今から来られる?」 千代子の容体が急変した。 しかし、隣で寝ているナナを預ける先はない。 精神的に不安定な娘を一緒に連れて行くのもためらわれ、自宅に残るしかなかった。 千代子は施設の職員らにみとられ、息を引き取った。 翌朝、施設の看護師から声をかけられた。 「よく頑張ったね。大変だったね」 みゆきの目に涙が浮かんだ。 約7年間に及んだダブルケアが終わった。 「思いつく限り、自分にできることは全部やった」 母を亡くして2年。過酷だった日々も、今はかけがえのない時間だったと思える。 それでも、美談にするつもりはない。 ダブルケアが急速に広がる中、誰かの人生や幸せを犠牲にして成り立つ家庭への支援は十分とは言えないからだ。 みゆきは当時を振り返り、支援の充実を訴える。 「『私』という存在を消して、母として、娘として、二つの命と向き合った毎日でした」ダブルケアの担い手は29万人 ダブルケアは、社会構造の変化や課題を映す「現代日本の縮図」とも言える。オーダーメード集計の主な結果 毎日新聞が政府統計を用いて独自集計した結果では、17年時点でダブルケアを担う人は全国に少なくとも29万3700人いると推計される。 担い手の9割が30~40代で、労働力の中核を担う現役世代に大きな影響を及ぼしている。 男女別では女性が全体の7割近くを占め、育児と介護の負担が偏っている実態もうかがえた。 ソニー生命保険(東京)がダブルケア当事者に実施した調査(23年)によると、不安に感じる点(複数回答)では、「家計・経済状況」が49%で最も多かった。続いて「子どもへの影響」が48%、「自身の健康状況」が40%となった。 離職経験を尋ねた設問では、全体の10%がダブルケアが原因で仕事を辞めたことがあると回答。具体的な理由としては、「職場が両立しにくい環境」や「学童保育などに入れない」などの回答が目立った。ダブルケアを巡る主な調査結果 ダブルケアが広がる背景には、社会構造の変化が大きく関係している。国内では、介護が必要な高齢者が増え続けている。 介護保険制度が始まった00年度の要介護(要支援を含む)の認定者数は256万人だったが、23年度は708万人。この20年間で約3倍になった。 これに加え、晩婚・晩産化が進む。厚生労働省によると、1975年の女性の初婚年齢は平均24・7歳で、第1子出産年齢の平均は25・7歳だった。これが24年にはそれぞれ29・8歳、31歳と5歳ほど上昇した。 その結果、育児を終えたら介護というライフサイクルが崩れ、子どもが幼いうちに育児と介護を同時に抱える人が増えているのだ。専門家「押し付け合いの犠牲者」 さらにダブルケアは突然始まるケースが多い。子育ては心の準備期間がある一方、介護は家族の体調急変で直面することが少なくない。ダブルケアを巡る主な調査結果 当事者には肉体面や精神面だけでなく、経済面の重い負担がのしかかるが、これら「三重苦」に対応する国主導の十分な支援体制は整っていない。 支援が進まない「壁」と指摘されているのが、縦割り行政の弊害だ。 育児と介護の福祉サービスが別々に考えられているため、双方の課題を複合的に解決する視点が欠け、窓口も分かれている。 ダブルケアに悩む人たちが相談しようとしてもたらい回しにされ、結果的に孤立感を深める要因にもなっている。 こうした課題は「支援する側」からも見えている。 毎日新聞が介護・ヘルスケア事業会社「インターネットインフィニティー」(東京)と共同で、介護支援を担うケアマネジャー722人を対象に実施したアンケート調査では、全体の約6割がダブルケアの家庭を担当した経験があると回答。調査に応じたほぼ全員の97%が「社会は十分な支援ができていない」と答えた。 ダブルケア支援に詳しい沢田景子・名古屋学院大講師(社会福祉学)は「支援の相談や手続きをワンストップで進められる行政の窓口が乏しく、結果的にダブルケアラーが『押し付け合いの犠牲者』になっている」と指摘する。ダブルケアラーが感じた必要な備え その上で、「国はヤングケアラーと同様、法的に支援の対象として位置付け、自治体とともに有効な対策や啓発活動を進めるべきだ」と訴える。