ハンセン病国賠訴訟、カネミ油症患者救済… 坂口力さん悼む声

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毎日新聞 2026/8/12 20:26(最終更新 8/12 20:26) 1112文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷国立療養所「菊池恵楓園」の入所者らの案内で園内を視察し、初代園長の墓に手を合わせる坂口力厚生労働相(右、当時)=熊本県合志町の菊池恵楓園で2001年6月16日、山下恭二撮影 7日に92歳で死去した元衆院議員の坂口力さんは、厚生労働相時代、ハンセン病国家賠償訴訟で国に控訴断念を働きかけ、国内最大の食品公害「カネミ油症」の患者救済にも力を尽くした。関係者からは悼む声が相次いだ。懐に辞表を忍ばせ… 「政治家というよりは本当に誠実なお医者さん。(ハンセン病の)問題は国が犯した過ちだときちんと認識して、国が謝罪すべきだということを人間として受け止められていた」。国賠訴訟の原告側弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は、人柄をしのぶ。Advertisement 患者の強制隔離を規定したらい予防法を違憲と断じ、国に賠償を命じた2001年5月の熊本地裁判決直後の出来事が印象に残る。坂口さんと面会した原告団代表の故・曽我野一美さんが「控訴をしないという約束をしていただく前に、大臣と握手することはできません」と、坂口さんの差し出した手を握らなかった。ハンセン病訴訟和解基本合意書の調印後、坂口力厚生労働相(当時)と握手をするハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会の曽我野一美会長(左、当時)=厚労省で2001年7月23日、松田嘉徳撮影 坂口さんは絶句したような表情を浮かべたといい、徳田弁護士は「『解決するためには控訴しちゃいけない』という思いを、その時に固められたのではないか」と考えている。 ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会の竪山勲会長(77)は当時、坂口さんが懐に辞表を忍ばせ、判決を受け入れるよう国に訴えていることを弁護団を通じて知ったといい、「医師でもあり、人権を踏みにじる隔離政策を許してはならないという思いがあったのではないか。立場は違っても同じ志を持って闘ってくれた」と振り返った。 判決から今年で25年。ハンセン病への差別や偏見は根強く、療養所から社会復帰した後に再入所した元患者や、身内に元患者がいることを隠して生活している家族が多くいる。竪山さんは「社会は何一つ変わっていない」と断じ、坂口さんの訃報に「なんでこんなに早く亡くなってしまったのか。一緒に偏見差別のなくなった社会を見たかった」と惜しんだ。カネミ油症の患者救済にも尽力 カネミ油症を巡っては、厚労相だった01年の国会答弁で、当時の国の公式見解を変更して油症の原因物質が猛毒のダイオキシン類であると認め、患者の認定基準の見直し(04年)へ道を開いた。12年に議員立法で成立した被害者救済法には、救済を目指す超党派議連の会長として携わり、政界引退を控えて「これが最後の仕事」と位置付けて取り組んだ。 被害者団体「長崎本土地区油症被害者の会」の下田順子代表(65)は「油症が猛毒による甚大な被害だと世の中に知ってもらえたのは、坂口さんの力が大きい」と語り、カネミ油症被害者全国連絡会の三苫哲也事務局長(56)も「集会の講演で患者サイドに立ち、油症被害に真正面から向き合ってくださった」と悼んだ。【岡田愛梨、栗栖由喜、青木絵美】あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>