映画の推し事:1986年渋谷のニコの不穏な美しさ “伝記”が描くもう一つの顔

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「残響のメロディ 魂の放浪者ニコ、最後の旅路」©2017 VIVO FILM TARANTULA 私がニコを見たのは1986年、東京・渋谷のライブハウス「渋谷LIVE INN」だった。「残響のメロディ 魂の放浪者ニコ、最後の旅路」が描く時代とほぼ重なる頃である。 ステージに現れた彼女は、本作で描かれるような豪放さとは対照的だった。細身の体に、シャープな彫刻のような顔立ち。ほとんど感情を表に出さず、深く沈み込むアルトの声で淡々と歌を紡ぎ出す。Advertisement そのドイツ語なまりの英語は重々しく、奈落の底に引き込まれていくような恐ろしいほどの陰鬱さを帯びていた。 彼女のたたずまいには、周囲を威圧するような強さではなく、近づきがたい孤独が漂っていたことを今でも鮮明に覚えている。何より忘れられないのは、その瞳だった。少し三白眼気味の視線は、見る者を射抜きながらも決して感情を明かさない。氷を削り出したような美しさ。その存在感だけで会場の空気が変わる。彼女はそんな稀有(けう)な歌姫だった。ウォーホルのミューズ ニコ、本名クリスタ・ペーフゲン。ドイツ生まれの彼女は10代の頃から180センチという長身を生かし、パリを中心にモデルとして活動していた。 フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」(60年)にも端役で出演。62年、23歳で俳優アラン・ドロンとの間に、クリスチャン・アーロン・ブローニュ(愛称アリ)を出産する。 65年、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの紹介でファーストシングルを出すものの、成功には及ばなかった。 その後、ボブ・ディランを通じてニューヨークのアンディ・ウォーホルに出会い、彼が主宰する「ファクトリー」の実験映画に参加。ウォーホルは、自らがプロデュースするルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドにニコを参加させた。67年のファーストアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」で、彼女は3曲リードボーカルをとっている。 ニコは、ウォーホルのミューズとしてニューヨークのアートシーンの象徴となり、ロック史にその名を刻んだ。「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのディートリヒ」「パンクのガルボ」「最後のボヘミアン」とも呼ばれた。 しかし、ウォーホルに押された形での参加だったため、ニコはメンバーに受け入れられなかった。ドアーズのジム・モリソンに歌を自作するようにアドバイスされたニコは、その後グループを去り、ソロ活動を開始する。孤独をそのまま歌声に変える 60年代の彼女の周囲には、常に時代を代表する才能たちが集まっていた。そして、男たちはニコに出会うと彼女の虜(とりこ)になった。しかし、ニコを伝説たらしめたのは、その華やかな交友関係ではない。誰にもこびることなく、流行にも迎合せず、孤独をそのまま歌声に変えてしまう圧倒的な存在感と、その美貌だった。「残響のメロディ 魂の放浪者ニコ、最後の旅路」©2017 VIVO FILM TARANTULA 通常、ロックの伝記映画の多くは栄光へと駆け上がる軌跡をたどるが、本作「残響のメロディ」はその逆を行く。描かれるのは、60年代の美しいアイコンとしてのニコではなく、88年に49歳で亡くなるまでの最後の2年間だ。当時の彼女は成功からどん底へと落ち、そこからはい上がるように東欧ツアーに出ようとしていた。 本作は、ジャンキーのバンドメンバーと共に東欧を巡るロードムービーでもある。彼女が目にするのは、小さなライブハウス、荒涼とした安ホテル、うら寂れた街並みだ。 そのどれもが、ニューヨークの華やかな「ファクトリー」の時代とは対極にある。しかも、ツアー先で待ち受けるジャーナリストたちは、現在を生きようとするニコの意に反して、こぞってヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の話を聞きたがるのだった。 とりわけ印象的なのは、共産主義体制下のプラハでのライブシーンだ。政府公認の音楽しか許されない閉ざされた街で、若者たちは地下に隠れてロックを聴いていた。 そんなプラハにヘロイン中毒のニコが出かけていくのだから騒ぎになるのは当たり前。歌い始めるとすぐに警官隊が踏み込み、1曲だけ歌うとバンドは慌ただしくバンに飛び乗って逃げ出す。その場面は、自由を求めるロックの原点を思い起こさせる。偶像を脱ぎ捨て「クリスタと呼んで」 本作では、60年代のアーカイブ映像が時折、フラッシュバックする。若き日のまばゆいニコと、現在の疲れ切ったニコ。その落差は残酷でもある。 彼女は言う。「ニコではなく、クリスタと呼んで」「きれいな頃の私は幸せじゃなかった」と。この言葉から伝わるのは、偶像のようにあがめられた半生への抵抗と、本来の自分を取り戻そうとする痛烈なまでの切実さだ。 本作が描くのは、薬物依存に苦しみ、息子アリとの関係に傷を抱え、それでも歌うことだけはやめられない一人の表現者、クリスタ・ペーフゲンとしての姿だ。 成功もどん底も味わい尽くし、そのどちらも「空っぽだった」と語る彼女。ニューヨーク時代の過去の亡霊に苦しめられ、同じく薬物に溺れる息子との関係に葛藤しながらも、彼女は「ニコ」という偶像を脱ぎ捨て、一人の人間としてささやかな幸せをつかもうとしていた。 東欧ツアーを終えた88年。秋からの新しい生活を前に、彼女はアリを伴って夏のイビザ島へ休暇に向かう。しかし、そこでの穏やかな日々は、自転車からの転落事故によって突如として断ち切られた。享年49。新しい人生が、まさに始まろうとした矢先の悲劇だった。深い思いに触れた 私はこの映画を見ながら、多少の戸惑いを感じていた。主演のトリーヌ・ディルホムの演技は素晴らしいのかもしれない。 しかし、スクリーンの中のニコは、私が渋谷で目にしたニコとはまったく別人だった。体つきも顔立ちも、舞台に立つときの静謐(せいひつ)な空気も、歌声も違う。「残響のメロディ 魂の放浪者ニコ、最後の旅路」©2017 VIVO FILM TARANTULA 女優ディルホムは、監督スザンナ・ニッキャレッリからこう誘われたそうだ。「あなたはニコに似ていないし、ニコのように歌わないけど、ニコを演じてほしい」と。 「エルヴィス」(2022年)や「Michael/マイケル」(26年)など多くの音楽伝記映画は、その主人公に「似せる」のがセオリーだ。けれど、本作はそれを真っ向から拒否している。 監督が試みたのは、実在のニコを精密に再現することではなく、栄光が過ぎ去った後の一人の芸術家の心象風景を描くことだった。それが功を奏したか、本作は第74回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門で最優秀作品賞を受賞している。 あの夜、渋谷で目の当たりにした、氷のような美しさと静かな緊張感。それを知る者としては、スクリーンの彼女に本人の残像を最後まで重ねることはできなかった。けれど、本作を通じて当時のニコの思いに深く触れた気がした。 あのライブの夜、ステージに立っていた本物の彼女は、映画の主人公よりもずっと、言葉にできない不穏な美しさと、触れたら切れるようなナイフの一面を持っていたように思う。そう、ニコは商業的な成功などには目もくれず、ひたすら自分の表現を追求した本物の芸術家だった。(北澤杏里)