毎日農業記録賞×聞く:「空」の思想、「土」の思想 複眼的な視座で 伊藤昌亮さん

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伊藤昌亮・成蹊大教授 「農」と「食」「環境」を巡る政策で、従来の「左」と「右」の座標軸には位置づけられないような動きが見られるようになった。一つの例は参政党だ。天皇中心の伝統文化の尊重や国防の強化を説く典型的な右派のスタンスを示す一方で、グローバル資本主義への批判、今や「弱者」に位置づけられる国内農家の擁護、環境破壊への反発など、既成政党の枠組みではくくれない主張が聞こえてくる。興味深い。複眼的な視座でネット文化の言説に切り込んでいる成蹊大教授・伊藤昌亮さんをキャンパスに訪ねた。【聞き手・三枝泰一】 ――伊藤先生は近著「曖昧な弱者の時代」の中で、2025年の参院選で躍進した参政党のマニフェスト「日本人を守り抜く~食と健康・一次産業~」に着目されています。戦前の価値観につながる復古主義的な文化・家族政策を打ち出す一方で、オーガニック食の推進や自然環境の保全など、従来の感覚では左派にくくられる「エコロジー政党」のような施策を掲げています。争点のコメ問題を巡っては、一種、資本主義の論理に逆らうような形をとってでも国内の1次産業を守る姿勢を明確にしています。Advertisement ◆注目したいのは、欧州の「緑の党」のようなグローバルなエコロジー政党とは全く異なる志向を持っていることです。グローバルな環境政策は地球温暖化に伴う気候変動の問題を最重要視し、温室効果ガスの排出削減による脱炭素社会の実現を目指しています。一方参政党は、地球温暖化問題には科学的な議論の余地があるとし、多額の国民負担への反発もあって「脱・脱炭素」を掲げ、パリ協定からの離脱を訴えました。 ――「『空』を守るのか、『土』を守るのか」という視点で、両者を切り分けておられますね。 ◆分かりやすいのはメガソーラー(大規模太陽光発電)をめぐる争点でしょう。メガソーラーは再生可能エネルギーの供給を増やすことで「脱炭素」を推進する設備ですが、森林を伐採したり耕作をやめた農地を使ったりすることも多い。土壌汚染の観点から、参政党はこれを問題視しています。 一方、気候に着目する環境思想は「空」を見上げます。空は切れ目なく世界をつないでいるので、グローバルな考え方につながります。参政党の環境思想は土地や風土を重視しています。森林や水源地の破壊、さらに日本の文化の根っこにあるコメをつくる田んぼにソーラーパネルを張り巡らすことは許されない。「土」は「国境」の概念と通底し、ナショナリズムと結びつきます。 ――戦前の「農本主義」に近いという見方があります。 ◆欧州のエコロジー政党にはさまざまな源流がありますが、マルクス主義の「赤色革命」がある種行き詰まり、運動の見直しの中で、その後継として生まれたのが「緑色革命」といえます。参政党にそのようなルーツはありません。 農本主義は、農業や農村の秩序道徳こそが国を支える土台であると考える思想です。明治維新以降の工業化や都市化に対抗し、疲弊する農村、解体に向かう農民コミュニティーの擁護を訴えますが、国家社会主義などさまざまな活動と交錯する中で、超国家主義を招来しました。 ――具体的な接点はあるのでしょうか? ◆手がかりとして私が着目しているのは、1970年代から2010年代に活躍した福島県出身の篠原節氏(故人)という活動家の思想と行動です。「国家社会主義者同盟」という団体の代表を務めました。「国家社会主義」はナチスが標榜(ひょうぼう)したものです。過激な排外主義運動の担い手の一部の間で「祖」のように祭り上げられている人物ですが、当初の運動は、弱者救済を目指す農村オルグ、自然や野生動物の保護、「反公害」といったもので、農本主義と通じ、さらに左派の問題定義にも重なる内容でした。 「動物、植物、土地を同じ<いのち>として大事にするという気持ちがないとダメなんです」「土地をもう一度生き返らす、(略)農業を見直すといった点に金をかけて重点を移すべきですよ」「本当の自由は(略)土を基盤にしてしかないんです」――。篠原氏は右派団体の機関紙に、こんな言葉を語っています。 一方で彼は少年時代からヒトラーに憧れていたようで、90年には「ヒトラー思想のススメ 自然と人類を救済するナチス・ヒトラー世界観の120%肯定論」という本を同志の活動家と出版しています。ナチス政権が数々の環境立法を進めたことは知られていますが、そのイデオロギー「血と土」は、血統や人種への執着としての民族主義と、土地や風土への愛着とが分かちがたく結びついていました。優生思想を生み出すと同時に、その純潔性を汚す存在を不純物とみなす排外主義につながりました。食糧生産と結びついた「生存権」の考え方が、侵略戦争を正当化しました。 篠原氏は漫画家やアニメーターとしての顔も持っており、サブカルの世界に染まっていたようです。ナチス親衛隊の制服をまとったり、オカルトやSF的な次元にまで発想を膨らませたユダヤ陰謀論を展開したりして、その後、実際に外国人排斥運動に手を染めます。おそらく彼の内面では、明確に意識されることがないまま、農本主義と排外主義とが一体化していったのでしょう。 ――その内面性は今に通じると? ◆「『置いていかれる』感覚」でしょうか。「成長」「成長」「成長」と追い立てられる一方で、それについていくことができない層が社会にいる。経済的上昇の機会を与えられることなく生産性の低い労働を強いられた人々にとって強迫観念であり、必然として、不満が鬱積します。農業や環境の分野では、「日本が壊されている」というアピールに反応しやすい状況も現実としてある。メガソーラーの問題では、太陽光パネルの多くが中国製であることが反発に拍車をかけています。外国人投資家によるリゾート地や水源地への投資もそう。最近では宮城県が検討したムスリムのための土葬墓地を国土の侵害のように見なす考えも現れました。 篠原氏ら「第1世代」が体感したことは続いている。当時は日本の高度経済成長から取り残された農村部のひずみが問題だった。今は、世界の経済成長から日本全体が取り残されているという状況です。 ――誤解を恐れずにあえてうかがいます。「農本主義」、さらに「右」は「悪いもの」なのでしょうか? ◆「弱い者いじめ」に通じる排外主義が問題なのは当然です。国家社会主義の末路は歴史が明らかにしています。それらが「悪いもの」であることは自明ですが、一方でここで紹介したいのは、作家で活動家の雨宮処凛さんの言葉です。彼女は「右」の運動とも「左」のそれとも関係があり、自身を「右翼」とも「左翼」とも位置づけていません。その彼女が言うには、「右」には直感性と包摂力があるそうです。どうにもならない境遇に追い込まれた若者に、一升瓶から酒を注いで語りかけるような肌感覚でしょうか。そういう要素が「左」には薄いと。左派がもっと意識しなければならない点もあるのかもしれません。 ――エコロジーの理解にも通じますか? ◆参政党の主張で分かるように、「土」を、すなわち近くを見下ろす視線にはリアリティーがある。その一方で、問題を単純化し理解を一面化しかねない危険性があります。エコロジーはシステムの思想であって、自然科学と社会科学の複雑な関係を読み解く努力が必要です。「空」を見上げる思考、すなわち高い理想や広い視野が求められます。実感に即した即物的な思考は問題発見に役立つ部分はありますが、解決には至らず、別の問題を引き起こすことにもつながりかねません。 コロナ禍以降、複雑な思考を回避する風潮が広がりつつあることが、気がかりです。いとう・まさあき 1961年、栃木県出身。85年、東京外大外国語学部独語学科卒。2010年、東京大大学院学際情報学府博士課程修了。日本アイビーエム、ソフトバンク、愛知淑徳大現代社会学部准教授などを経て、15年から成蹊大文学部教授。25年から同学部長。著書に「デモのメディア論」(筑摩書房)、「ネット右派の歴史社会学」(青弓社)など。第54回毎日農業記録賞の作文を募集締め切りは9月2日消印有効。詳しくはホームぺージ(https://www.mainichi.co.jp/event/aw/mainou/)