みな悪かった 「拝謁記」から読み解く昭和天皇の“戦争責任観”

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毎日新聞 2026/7/31 18:23(最終更新 7/31 18:23) 有料記事 2105文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷昭和天皇=1988年4月 「抜かれ」。メディアの世界では、他社に大きなニュースを先に報道されることを、そう呼ぶ。 日本近現代史を担当している私は多くの「抜かれ」を経験したが、最大のものが「昭和天皇拝謁記」だ。 2019年8月、NHKがその存在と内容を報道した。その後、「昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録 全7巻」(古川隆久他編・岩波書店)として刊行された。 歴史学や政治学、皇室社会学などの研究に寄与するもので、読みどころ満載だ。戦争を回顧した記述も多い。 敗戦から81年となる8月、同書を軸に「昭和天皇の戦争観」を読み解いてみたい。 「拝謁記」は、初代宮内庁長官・田島道治(1885~1968年)が天皇との会話を手帳やノートに詳細につづった記録だ。49年2月3日から退任する53年12月16日まで全622回、100万字以上に及ぶ。 田島は愛知県出身。東京帝国大卒業後、金融界で要職を歴任する。連合国軍占領下の48年、芦田均首相に請われて宮内府長官に就き、49年に改組された宮内庁の長官となった。 天皇は深く信頼していたようで、外部には表明できない政治的な発言をし、皇室の家長としての心配事などを相談してもいる。 37年7月に日中戦争が始まり、米英などと開戦して45年に負けるまでに、日本人だけで300万人以上が亡くなった。またアジア各地の人々も多数、犠牲になった。日本史上、最大の悲劇といえる。自分も、軍も政府も国民も 大日本帝国の時代、天皇は国家元首であり「統治権の総攬(そうらん)者」。立法・行政・司法の三権すべてを統括する権限を持っていた。さらに陸海軍を率いる最高指揮官「大元帥」でもあった。 一般に地位の高い人ほど責任は重い。では天皇は、戦争責任をどうとらえていたのか。拝謁記によれば…この記事は有料記事です。残り1364文字(全文2105文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>