「ゴジラ-0.0」Ⓒ 2026 TOHO ニューヨークで映画祭でのワールドプレミアも9月26日に終え、いよいよ“山崎貴ゴジラ”第2幕「ゴジラ-0.0」の開幕である。1962年の第3作から、筆者が兄弟のように付き合ってきたゴジラの新たな“晴れ姿”を妄想してみたい。わだつみ作戦で消えたはずが…… 前作「ゴジラ-1.0」をおさらいしておこう。 特攻隊の生き残り敷島は復員後、戦災で身寄りをなくした典子と、典子が連れていた赤ん坊、明子と暮らしていた。敷島は終戦直前、大戸島の基地で怪物に襲われ、トラウマを抱えていた。戦後、機雷除去作業を行う中で、大怪獣「ゴジラ」と化したくだんの怪物と対峙(たいじ)する。ゴジラは首都東京を襲い、典子もろとも銀座を破壊する。Advertisement 日本政府も占領軍もゴジラ撃退に乗り出さないため、敷島は、機雷掃海で知り合った野田技師や秋津船長、大戸島の橘整備兵らと共に民間部隊を組織しゴジラ退治に乗り出す。 野田の立案した撃退計画「わだつみ作戦」と敷島の決死の飛行によってゴジラは海の藻くずと消え去った。さらに、典子が無事に発見され、敷島と明子と対面するのだった。 ここまでが「-1.0」、そして、この11月3日から、その後、再び現れたゴジラを描く「-0.0」が公開されるのだ。 ストーリーに関しては、箝口(かんこう)令が敷かれているのでほとんど見通せないが、敷島の神木隆之介、典子の浜辺美波ら主要キャストの続投と、物語の鍵を握る科学者田中泯、医師國村隼、気象学者の長澤まさみら新キャラクターと演者が発表された。さらに、ニューヨークのプレミアとほぼ同時期に、キングギドラの登場も発表されたのだ。山崎監督の“非ヒューマニズム” 「-1.0」に感心したのは、白組のVFXだけではない。真の恐怖のエッセンスを描き出そうとしたことと、「人間はたいしたものではない」という、ハリウッド映画とは正反対のテーマを底流に置いたことだと考える。 「『-1.0』は人間中心のドラマだったはずだが……」と感じる人も多いだろうが、結局ゴジラは再生したではないか。山崎監督は「ゴジラは死すら逃げ出す至高の存在であり、それに比べると人間は取るに足らない小さなものである」という東洋的思考を隠さなかった。 ひるがえって見れば、現代の映画、あるいはドラマにおいて、倫理の教科書のようなヒューマニズムは絶対的前提条件と言っていいだろう。ところが、何を考えているか分からないゴジラは正邪を超えた非人間的な存在である。人間物語を構成する「生き延びるために懸命に戦う人間」など、ゴジラの前ではまったく無力で無意味である。「山崎ゴジラ」は、ハリウッドには描けない「非ヒューマニズム」、つまりリアルな「虚無」を描いたのである。ニューヨーク映画祭での「ゴジラ-0.0」上映に臨む、(右から)山崎貴監督、神木隆之介、浜辺美波=Ⓒ2026 TOHO もう一つの山崎ゴジラの個性である「恐怖」は、この「虚無」の直前に浮かび上がるものである。「-0.0」に期待するものは、まさにこの「恐怖」「虚無」の描写である。これがないと、キングギドラも登場したことだし、詰まるところ近年の「モンスターバース・ゴジラ」と似たり寄ったりの映画にとどまってしまう。よく分からないキングギドラ そこを基盤に置いたうえで、「山崎監督、かくあれかし」と願う妄想を書き記したい。 まずは、キングギドラである。64年の「三大怪獣 地球最大の決戦」に初登場したキングギドラは宇宙から隕石(いんせき)として飛来した怪獣で、翌65年の「怪獣大戦争」では、X星人の操る宇宙怪獣だった。 2作とも破壊力抜群ながら、ゴジラたちとの戦いに敗れ宇宙へと逃げ去って行く。人間の理屈が通じないという点では、ゴジラと同類、いやそれ以上である。 なじみの怪獣たち、つまり、モスラは大きな蛾(が)、ラドンは大きな鳥、キングコングは大きな猿と「生物」寄りだが、ゴジラとキングギドラだけは「よく分からない動くもの」なのだ。「山崎ゴジラ」の対戦相手にキングギドラを選んだのは、必然だったといえよう。 なお周知の事実だが、山崎監督は64年、長野県松本市出身。キングギドラも同年生まれで、最初に襲った町は松本市。もちろん破壊した名所は松本城だった。監督は相当思い入れがありそうだ。また、金色に輝く美しい三頭龍は、東洋人にはたまらない縁起物ではないか。どうなる49年の日本の映像 あとは、人間と2体の怪獣との戦いをどう結び付けるのかが見どころであり、監督の腕の見せどころであろう。 田中泯演じる科学者は、第1作ゴジラで命をなげうって日本を救った芹沢博士役なのか、キングギドラを作るマッドサイエンティストなのか。國村隼の医者は、典子からゴジラ細胞化した人間の細胞を抽出するのか。長澤まさみの気象学者は、大気を操る風神雷神へと変身するのか。敷島は今度はどんな飛行機を操縦するのか。 それから、時代背景となる49年の日本の姿の映像が楽しみである。どの山崎作品も、時代の細部が丁寧に描かれている。だからこそ、神話にリアリティーが生まれるというものだ。 ゴジラ映画だから、ゴジラはキングギドラを破り、人間とは引き分けて、最後は海に去るのだとは思うが、頼むから「モンスターバース」と「シン・ゴジラ」にはしないでくれと、山崎監督の品性と良識に期待したい。(川崎浩)Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】ヒトハ、フタバとオデュッセウス 「愛」と「欲」でつながった話題の2作関連記事【最新記事】