あいさつしながら涙で曇る文字 「原爆市長」の未公開日記、心の内は

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有料記事興野優平 編集委員・副島英樹2025年8月5日 17時00分故・浜井信三元広島市長の長男・順三さん=広島市佐伯区、上田潤撮影 「原爆市長」と呼ばれ、広島の戦後復興に尽くした浜井信三元広島市長(1905~68)の日記が残されていることがわかった。戦争の悲劇を繰り返させないための思索の跡がうかがえ、原爆忌の8月6日には死者や遺族を思う心情がつづられている。 保管する長男・順三さん(89)によると、これまで日記を公開したことはなかった。被爆80年を迎えるなか、平和都市広島の原点に立ち返り「父の言葉に再び耳を傾けてほしい」との思いから朝日新聞の記者に見せた。 広島市役所職員だった浜井信三氏は80年前、爆心地から約4キロの自宅で被爆。戦後に助役、47年4月に市長に選ばれた。55年までと59~67年の通算4期16年間、市長を務めた。平和記念式典で「平和宣言」を読み上げる浜井信三広島市長(当時)=1954年8月6日 47年8月6日に現在の平和記念式典の原型となる「平和祭」を開いたほか、復興の財源を政府予算から引き出した特別法「広島平和記念都市建設法」制定に尽力。平和記念公園の整備、平和記念資料館の建設を手がけ、原爆ドームの保存にも取り組んだ。 残された日記は51~53年、56~58年、61、67、68年の9年分。被爆翌年を含む手帳も10冊あり、連合国軍総司令部(GHQ)関係者などとの面会予定などがきちょうめんに書き込まれている。 51年の日記は元日、当時続いていた朝鮮戦争への警句から始まる。故・浜井信三元広島市長の日記。1952年8月6日には、両親を亡くした妻を思う心情がつづられている=広島市佐伯区、上田潤撮影 《人間よ、理性を呼び起(おこ)せ。武器によって、相手に打勝(うちか)つ時は過ぎた。即時停戦して、平和的話合(はなしあ)いによって事件の解決を図る努力を始めない限り人類は滅亡する》 同じ年の8月6日、平和式典であいさつした。 《一分間の黙禱(もくとう)を捧(ささ)ぐ。唯(ただ)とめどなく涙が迸(ほとばし)る。挨拶文(あいさつぶん)朗読中字が曇って困った》 翌年の8月6日にはさらに詳しく当時の心情が書き込まれていた。 《何とはなしに悲しい淋(さ…この記事を書いた人興野優平広島総局|県政担当専門・関心分野文芸、核、人口減少、ジェンダー副島英樹編集委員|広島総局駐在専門・関心分野平和、核問題、国際政治、地方ニュース戦後80年第2次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が犠牲になったと言われています。戦後80年となる今年、あの時代を振り返る意義とは何か。全国各地のニュースをまとめています。[もっと見る]こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ8月5日 (火)最低賃金、過去最高の6%増作業員死亡、20分間に4人がセ・リーグがDH制導入へ8月4日 (月)萩生田氏秘書を略式起訴へながら運転 増える重大事故JR東、平均7.1%値上げへ8月3日 (日)首相、戦後80年文書見送りへマンホール転落 4人全員死亡トランプ氏、労働統計局長解雇8月2日 (土)「相互関税」新税率7日発動渇く米どころ 暑く少雨の7月高校野球にDH制 来春からトップニューストップページへ「コメ1年間買っていない」 最低賃金での暮らしに映る「6.0%」7:00プラスチック条約交渉が「再開」 難航は必至、合意求める圧力高まる17:14「欧米に挑戦する中国」どう見る 過去の挑戦者だった日本の落とし穴16:0080年前に逝った父、いま恋しい 長崎で被爆の祖母、広島で伝える孫15:00【解説人語】「ビットコイン買うだけ」株価高騰、社長は何を語ったか16:00史上初のナイターとなる甲子園の開幕試合 歴史を彩った数々のドラマ16:18