毎日新聞 2025/8/5 18:00(最終更新 8/5 18:00) 有料記事 1939文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷インタビューに答える浜田美栄コーチ=大阪府泉佐野市で2025年7月25日、北村隆夫撮影 毎年、8月6日午前8時15分になると、静かに目を閉じ、思いをはせる。フィギュアスケートで多くのトップ選手を指導してきた浜田美栄コーチ(65)は、母が広島市で被爆した話を幼い頃から聞いてきた。被爆体験を語る当事者の高齢化が叫ばれる昨今、「2世として受け継いでいかなければいけない」とコーチ業で海外を訪れる度、各地で平和の尊さを訴えることを忘れない。 80年前、浜田コーチの母、榎郷子さん(91)は、国民学校(現在の小学校)5年だった11歳の時、爆心地から約2キロの自宅で両親と被爆。その日、郷子さんは、たまたま学校を休み自宅にいたという。一方で、爆心地近くで延焼防止のため民家などを壊す「建物疎開」の作業をしていた姉の睦子さん(当時12歳)は行方不明となった。 約10日後、がれきの中から睦子さんの上着だけが見つかった。上着は現在、広島平和記念資料館に寄贈されている。 結婚を機に京都に移った郷子さんは、約30年前から府内を中心に自らの体験を語る活動を続けており、昨年には体験談を基にした冊子「チョンちゃんはいうときたいんよ 原爆で消えたムッちゃんのこと」を刊行。「チョンちゃん」は郷子さんの、「ムッちゃん」は睦子さんが呼ばれていた愛称だ。 浜田コーチは幼少期から、伯母に当たる睦子さんのことを聞かされてきた。 「広島の実家を訪れると仏壇の前には『ムッちゃん』の写真が飾ってありました。亡くなった祖母が、…この記事は有料記事です。残り1337文字(全文1939文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>