毎日新聞 2025/8/14 10:00(最終更新 8/14 10:00) 1193文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷打撃練習する沖縄尚学の田中彪斗選手=兵庫県西宮市で2025年8月13日午後0時38分、山口響撮影写真一覧 夏の甲子園に出場している沖縄代表の沖縄尚学には、3代続けて甲子園の土を踏んだ選手がいる。三塁コーチの田中彪斗(あやと)選手(3年)だ。父はプロ野球・阪神タイガースの1軍で今季から内野守備走塁コーチを務める秀太さん(48)。甲子園で同じ三塁コーチスボックスに立つ父のアドバイスを胸に、2回戦の鳴門(徳島)戦に挑む。 田中選手の祖父、久幸さん(2006年に59歳で死去)は熊本工の主将として1965年のセンバツに出場し、後に監督としても同校を甲子園に導いた。96年夏、決勝で松山商(愛媛)と対戦し、代々語り継がれることになる「奇跡のバックホーム」で優勝を阻まれた時の監督だ。Advertisement「奇跡のバックホーム」でタッチアウトになる熊本工の三塁走者。この時の熊本工の監督が田中彪斗選手の祖父、久幸さんだった=阪神甲子園球場で1996年8月21日、上入来尚撮影写真一覧 一方、父の秀太さんも熊本工の主将として94年のセンバツに出場。高校卒業後は阪神に入団し、内野手として活躍した。田中選手の名前はタイガースにちなんだという。 兵庫県芦屋市出身の田中選手は、小学1年から野球を始めた。小学生時代は投打の二刀流で活躍した根尾昂選手(現中日ドラゴンズ)擁する大阪桐蔭の大ファンで、何度も甲子園球場に足を運んだ。 「親元を離れて強いところでプレーしたい」と高校は沖縄尚学を選び、寮生活をしながら甲子園を目指した。レギュラーからは外れたものの、昨秋の九州大会から三塁コーチを任された。「得点に直接絡む大事なポジションだけに、走者を進めるかどうかの判断が最初は難しかった」と振り返る。阪神の選手だった父秀太さん(左端)の引退セレモニーで、母睦子さんに抱っこされる沖縄尚学の田中彪斗選手=家族提供写真一覧 チームは今春のセンバツに出場し、田中選手は初めて甲子園の土を踏んだ。祖父、父と同じ舞台に立てたことがうれしかった。「小さい時から高校野球やプロ野球を見に甲子園に来ていたが、グラウンドから見ると広々としていて、他の球場とは全然違う。人も多くて特別な場所だと感じた」 センバツ初戦の青森山田戦で初めて甲子園のコーチスボックスに入って感じたのは、外野が広く、相手守備陣のポジションが深いのか浅いのか、距離感を把握しづらいことだった。そこで秀太さんに相談すると「外野フェンスの掲示広告を基準に外野手を見るといい」と助言してくれた。 そのアドバイスが生きたのが、この大会で優勝した横浜(神奈川)との2回戦だった。3点を追う三回2死一、二塁の場面で、宜野座恵夢選手が三塁線を破る適時打を放った際、左翼手のポジションや利き腕、打球が飛んだ場所を瞬時に見極め、一塁走者も還せると判断。グルグルと手を回して2者を生還させた。試合には敗れたが、「ナイスゲームだった」と秀太さんにねぎらわれたという。 比嘉公也監督は田中選手について「職人肌。最初は恐る恐るだったが、最近は判断に自信を持ててきている」と目を細める。 田中選手は「積極的な走塁で、勝つために最適な判断をして冷静にやっていきたい」と見据える。目標は、祖父が監督として成し遂げられなかった全国制覇だ。 14日は秀太さんもアルプススタンドに駆けつけて声援を送る。【山口響】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>