毎日新聞 2025/7/13 13:30(最終更新 7/13 13:30) 666文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷地元出身の角田陽子さんが郷土資料館に寄贈した木製の机。両親の遺品と共に展示されている=岩手県釜石市で2025年7月11日、奥田伸一撮影 岩手県釜石市が太平洋戦争で米英軍の「艦砲(かんぽう)射撃」を受けて80年を迎えるのに合わせて、戦災資料展「艦砲射撃80年――未来につなげるために」が11日、同市郷土資料館で始まった。地元で「艦砲」と呼ばれる猛烈な砲撃の中を焼け残った家財道具や当時の様子を描いた油絵や写真など175点を展示している。 艦砲射撃は戦艦が海上から砲弾を撃ち込む攻撃で、沖縄や本州の工業都市が標的にされた。釜石は1945年7月14日と8月9日の2回攻撃を受け、製鉄所や市街地が大きな損害を受けた。市によると、7月は2565発、8月は少なくとも2781発が発射され、捕虜を含む782人の死亡が判明している。Advertisement艦砲射撃の体験者が当時の光景を描いた油絵。郷土資料館が収蔵している=岩手県釜石市で2025年7月11日、奥田伸一撮影 資料展は1回目の艦砲射撃があった7月に市郷土資料館が毎年開いている。今回は釜石出身で埼玉県在住の角田(かくた)陽子さん(81)から今春寄贈された小さな木製机を展示した。 机は縦43センチ、横68センチ、高さ31センチで、床に座って読み書きする際に使う文机と呼ばれるもの。45年1月に東京で戦病死した父正一さんが作った。その半年後、母郁子さんは艦砲の犠牲になった。郷土資料館に展示されている艦砲射撃の砲弾=岩手県釜石市で2025年7月11日、奥田伸一撮影 当時角田さんは1歳で両親の記憶がない。80歳を過ぎ、戦火をくぐり抜けた机と自身の人生を後世に伝えようと机に関する資料と共に釜石市に寄託した。市への依頼文には「狭い部屋で焼け焦げた遺品を眺めながら(中略)父の小さな机が部屋の隅に置いてあった風景が浮かぶ。戦争って何だったのだろう?」とつづられている。 戦災資料展は9月7日まで(火曜休館)。入館料200円(高校生以下無料)。【奥田伸一】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>