「夏の砂の上」Ⓒ2025 映画『夏の砂の上』製作委員会 私自身の鑑賞後の感想は、「とにかく生きていくしかないよね」でした。 ネガティブもポジティブもない感情と共に、そう思いました。見る人によっては、登場人物がそれぞれの道へ進んでいく映画だと捉えるかもしれません。そして私ももう少し若かったらそのようにも見たかもしれませんが、中年となった今の私には、「そう、とにかく生きていくしかないのよ」と主人公の小浦(オダギリジョー)が明るい青空を見上げる姿に声を掛けてしまいました。 ここでは、音声ガイド制作を通しての作品紹介をしています。 音声ガイドとは視覚に障害があって、見えない、見えにくいお客さんも安心して映画を楽しめるよう映像を言葉にしたもので、アプリとイヤホンを使って聞くことができます。Advertisement この作品では、私は音声ガイド原稿のメインの書き手ではなく、客観的にガイド原稿に誤表現などがないかをチェックするサブ担当という立場で入りました。2階建て 二間続きの和室の家 音声ガイド原稿を書く際に、自分の理解のために舞台となる場所の間取りを描くということがあります。サブ担当としても、描写に齟齬(そご)がないか、書き出してみました。 小浦家は2階建ての一軒家。家のど真ん中に二間続きの和室があるのですが、玄関に近い方に食事をする座卓があり、ふすまが開けっ放しの隣の部屋は一応、書院造りになっているものの、床の間や違い棚はすっかり物置になっています。 そちらの部屋にはソファとローテーブルが置いてあります。その二間を登場人物が行ったり来たりするので、書き手は食卓がある方を台本にならって「茶の間」と呼ぶことにして、書院造りの部屋を「居間」と呼ぶことにしました。「夏の砂の上」Ⓒ2025 映画『夏の砂の上』製作委員会間取りもさりげなく ……というような説明を事前に視覚障害のお客さんに文章で伝えるわけではないので、映画の中でそれが分かるようにしないといけません。 帰宅した17歳の優子(高石あかり)が、玄関で靴を脱いだその後の行動を、音声ガイドでご紹介してみます。********************正面の茶の間に荷物を置き、廊下を右へ行く。西日のさしこむ台所。(台所で冷蔵庫からスモモを取り出してかじるシーンは割愛)スモモを手に茶の間に戻り、奥を見る。薄暗い居間。ソファの後ろの違い棚や床の間には雑多に物が置かれている。******************** 小浦家をのぞいたような気分で聞いてもらえたらうれしいのですが……。 ただ、これは当然、こちらが映像の意図を無視して、必死で家の中の様子を優先して説明したということではありません。 このシーンは私自身も、優子の気持ちになって、急に暮らすことになった伯父の家を観察していたので、そのまま優子の気持ちで見たものをガイドされているといいなと思いました。その中に、位置関係などもそっと忍ばせたという形です。階段上の2人 「見上げている感じがほしい」 音声ガイド制作の過程で、映画製作サイドと一緒に原稿内容を確認する機会があります。 そこでは、英語字幕で言うところのネーティブチェックのような形で、視覚障害のある方たちにモニターをしてもらうので「モニター会」と呼んでいます。玉田真也監督も同席で、終始確認作業をしました。 個人的に印象に残ったのは、お葬式のシーンでの指摘でした。 知らせを聞いて駆け付けた小浦は、ラフな格好をしていたので、とりあえず着替えるために帰宅しようとします。階段をのぼりはじめたところで、頭と腕に包帯を巻いた女性に呼び止められます。その女性も階段をのぼって小浦の隣に立ち、大きな声で彼をののしる、という流れです。 音声ガイドの書き手は、女性が大きな声を出した後「弔問客の視線を集める」とだけ書いていました。そこに監督から、弔問客は階段の下にいて、2人を見上げている感じがほしいというご指摘をいただきました。高さや距離感でイメージを立体的に 私も、坂だらけの長崎ならではの構図だなーと思って見ていたので、明確にご指摘をもらってありがたかったです。 スクリーンは平面です。でも映像としては、奥行きだったり広さだったりを見せています。視覚障害のある人の中には、フレームを飛び越えて映画の中に入っている感覚で鑑賞している人も多くいます。 高さや距離感という奥行きを出すことで、その人たちのイメージの中の景色も、より立体的になるだろうと思うのです。 ちょっと余談ですが、この包帯を巻いた女性、自分がケガした時のことを詳細に語るのですが、それがまるで音声ガイドのように、映像が浮かぶようなうまい説明をします。視覚障害のモニターさんたちと、あの「じーっ」ていう表現のところ、分かるよね、痛そうだよね、と話をしました。「夏の砂の上」Ⓒ2025 映画『夏の砂の上』製作委員会坂道だらけの長崎が要 坂だらけの町という、小浦の住んでいるかいわいの景色もこの映画の要でした。長崎の坂道だらけの暮らし。アイコン的に出てくるたばこ屋があります。音声ガイドでご紹介します。********************小浦が坂道の歩道をのぼってくる。手にはレジ袋。右側のガードレール脇を折り返すように曲がり、別の道へ。ポケットから小銭を出し、たばこ屋に行く。(店の女性と今日も暑かね、というやり取り)たばこを受け取り、歩き出す。(小浦がため息を一つ)瓦屋根の家が並ぶ細い坂道。小浦がのぼってくる。コンクリートの階段をあがっていく後ろ姿。********************* この階段をあがっていく途中に2階建ての一軒があり、それが小浦の家です。 他にも、石垣の横、瓦屋根の家が並ぶ細い坂道など、家の近所にはさまざまな坂道の路地があります。 映画の冒頭と終わりに映し出される、街を見渡す景色には、長崎独特の入り江と造船所が見えます。造船所の横を車で通り過ぎると、設備がさびだらけなのが分かります。 小浦が今現在、特定の仕事をしていないことが、そこにつながっていきます。映画の冒頭って、まだいろいろつかめず、情報処理をしながら見るので忙しいのですが、しっかり映し出されているんですよね。言葉を発さない場面でも表情を伝える「夏の砂の上」Ⓒ2025 映画『夏の砂の上』製作委員会 伯父とめいの暮らしで起きる出来事と、その時々で生まれる感情を感じ取る作品でした。 伯父の小浦に預けられた17歳の優子は、どこかさめた雰囲気の少女。それでも、優子なりに長崎での伯父との暮らしに慣れてきた頃に、伯父の妻で別居中の恵子(松たか子)が、何気なく掛けた言葉に優子が表情を変えます。 そこでの優子は言葉を発さないので、何か表情を伝えないと視覚障害のお客さんには優子の顔が映っていることすら伝わりません。けれど、表情の変化は大きくはなく、その言葉に何か感じたな、という小さな変化でした。 監督は「優子の目から、力がなくなっていくんです」と言っていました。今回の原稿担当者はそのままその言葉は使いませんでしたが、どう書いたかは、機会があれば音声ガイドを聞いてみてください。 視覚障害のあるお客さんと一緒に、ここでの優子の心情を語り合う場があると楽しそうです。続いていく人生の話 この物語が、見た人にとってネガティブだったかポジティブだったか分かりませんが、生活水が出ないほど、干上がっている坂道だらけの長崎での夏は、優子にとって忘れられない思い出になることは間違いないと思いました。 また、過去の大雨で心の傷を負った小浦の心境は、どう変わっていったのでしょうか。 そして私の脳内では、大人になった優子が、小浦を訪ねてあの家の引き戸を開けるところまで再生されています。だってこれは、これからも続いていく人生の話なのですから。(松田高加子)