eye毎日新聞 2025/7/19 16:00(最終更新 7/19 16:00) 1056文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「原爆の図丸木美術館」は平和学習の場として学校単位での訪問も多い。この日は、1997年から継続的に訪れているという田園調布学園(東京都世田谷区)の高等部2年生180人が見学した=埼玉県東松山市で2025年6月6日、後藤由耶撮影写真一覧 非核と反戦のメッセージを発信してきた「原爆の図丸木美術館」(埼玉県東松山市)が9月29日から、老朽化などに伴う全館改修工事のために長期休館に入る。原爆の実相を描いたことで知られる画家の丸木位里(いり)(1901~95年)、俊(とし)(12~2000年)夫妻の連作「原爆の図」を展示している。リニューアルオープンは27年5月ごろの予定だ。 80年前の45年8月6日、広島は米軍爆撃機B29が投下した原子爆弾により、一瞬にして人類が経験したことのない地獄絵図と化した。Advertisement その3日後、爆心地から約2・5キロの場所に住んでいた両親らを救護するため、位里は東京から広島に駆けつけた。程なくして俊も合流し、ふたりは破壊し尽くされた街と無数の死、負傷者らを目の当たりにした。 戦後、52年までの占領下では、連合国軍総司令部(GHQ)による報道統制により抑え込まれ、被害の実態はほとんど知られていなかった。 そんな時代だった50年に夫妻は、見たこと、聞いたこと、体験したことを基に描いた「原爆の図」の3部作<幽霊><火><水>を発表した。67年には「原爆の図」を展示するために美術館を建て、隣で暮らしながら連作の制作を続けた。犠牲になった朝鮮人を題材にするなど、被害にとどまらず加害にも目を向けた。 美術館は、「原爆の図」全15部のうち所蔵する14部を展示する。個人での来訪だけでなく、平和学習の場として学校単位での訪問も多くあり、幅広い世代が足を運んできた。 開館から時がたち、雨漏りが目立ち、作品保存のために必要な湿度・温度管理といった設備面での課題などもあることから、改修することになった。並行して、汚れや破損、虫食いなどがある「原爆の図」の修復作業を専門家に依頼し、順次進めている。2023年に<幽霊>、今年6月に<火>が修復を終えた。 改修の費用は当初想定した約3億円が寄付により集まった。ただ、資材や人件費の高騰に加え、必要な工事の増大でさらに数億円が不足する見通しで、寄付を呼びかけている。 「『原爆の図』が描いているものは、過去ではなく、私たちの今であり、未来であるという状況は変わっていない」。戦争や殺りく、暴力が続く今を念頭にこう語るのは学芸員の岡村幸宣(ゆきのり)さん(51)。いつでも見られる開かれた絵画でありたいと美術館を作った夫妻の思いを受け止め、「『原爆の図』が生き続けることにつながる」と、館の改修と絵の修復に期待を込める。写真・文 後藤由耶(特記のあるものを除き、埼玉県東松山市で6月に撮影)【前の記事】この足で挑む「世界」 パラアルペンスキー育成選手のあくなき挑戦関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>