24色のペン毎日新聞 2025/8/27 06:00(最終更新 8/27 06:00) 有料記事 2370文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷米軍の攻撃から逃れようと、日本人が逃げ込んだとみられる崖の中腹にあるガマ(自然壕)。貝ボタンや歯などが出てくる=サイパン島北部で2022年8月、國枝すみれ撮影 参政党の神谷宗幣代表は、日本軍が沖縄の人たちを殺したわけではない、と主張した。「沖縄県民が亡くなったのはアメリカの攻撃によってであり、例外的に悲しい事件があった」と言った。 例外ではない。日本兵の住民に対する蛮行は、沖縄戦の約1年前、日本の占領下にあったサイパン島でも起きている。 「赤ちゃんがちょっとでも泣いたら、殺せ、殺せ、と怒鳴った。兵隊さんと一緒にいたら守ってくれるから安心だ、と思っていたのに、反対だった」 南米ブラジルのサンパウロに住む金城繁子さん(90)が8月15日、ビデオ電話で証言してくれた。 1944年6月、米軍が島を取り囲み、艦砲射撃が始まった。逃げ込んだガマ(自然壕<ごう>)に日本兵2人が来て、一家が持っていた水とサトウキビを全て奪った。生後4カ月の妹、絹ちゃんが母のおっぱいを吸おうとしたが、乳が出ない。「ふうーん、ふうーん」と細い泣き声をあげた。 「殺せ。首を絞めて殺せ。殺しきれないなら、俺が殺す」。日本兵は怒鳴った。 艦砲射撃の中、一家はガマを追い出された。砲弾の破片が後頭部を直撃し、絹ちゃんは死んだ。 逃げ込んだ別のガマでは、日本兵に「米兵は女、子どもは殺さないから、水を探してこい」と命じられた。外に出た繁子さんは米兵に撃たれ、右手の指3本を失った。 死に場所を求め、たどり着いた島東部のカラベラ海岸。…この記事は有料記事です。残り1798文字(全文2370文字)【前の記事】切り抜き動画と正義感=川上晃弘関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>