関東大震災の朝鮮人犠牲者 慰霊の鐘楼、補修終わる 千葉・八千代

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毎日新聞 2025/8/27 09:00(最終更新 8/27 09:00) 985文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷修復作業が完了した鐘楼。右端が呉充功監督=千葉県八千代市内で2025年8月26日午後3時45分、隈元浩彦撮影 関東大震災の混乱下で吹き荒れた朝鮮人虐殺。埼玉と同様、多数の犠牲者が出た千葉県八千代市の観音寺で26日、犠牲者を慰霊する鐘楼の補修工事が終わり、完工式が開かれた。日韓共同のプロジェクトで、中心的役割を果たしたのは映画監督の呉充功(オ・チュンゴン)監督(70)。「韓国の寄進で40年前に建てられた鐘楼が戦後80年の節目に、両国共同で補修が行われたことは大きな意義がある」と力を込めた。「なぎの原」では6人が犠牲に 1923年9月1日に起きた関東大震災では「朝鮮人暴動」のデマが流れ、軍、警察、自警団によって多数の朝鮮人が殺害された。観音寺近くの「なぎの原」でも、朝鮮人6人が命を奪われた。その事実を知った韓国の文化人らが85年、寄付を募り朝鮮様式の鐘楼と鐘を寺に寄進した。Advertisement 朝鮮半島の人によってつくられた数少ない「慰霊の場」だが、歳月の経過とともに瓦、柱に傷みが生じた。憂慮したのが「なぎの原」の虐殺を扱った「払い下げられた朝鮮人」(86年)を制作し、現在も埼玉県内などで作品作りを進める呉さんだった。両国から集まった支援の輪、刻んだ誓い 2022年に日韓共同プロジェクトをスタートさせ、募金を開始。韓国約1万人、日本約100人から1000万円近い寄付が集まった。「両国の協力は資金だけではない」と呉さん。「朝鮮式の瓦は韓国で新調され、柱の文様は韓国の職人の手によるものだが、日本の宮大工が地震の多い風土にあった工法で支えてくれた」 鐘楼脇にはプレートが新設され「反省、和解、記憶の継承」と刻まれた。日本政府は虐殺について「政府内に記録が見当たらない」という態度を崩しておらず「反省・和解」にほど遠い現状だが、呉さんは「かつては目を背けていた地元の人たちの意識も変わり、虐殺に関心を寄せるようになった。鐘楼に込められた思いを次のステージへの出発点にしたい。そんな気持ちを込めた」と話した。 式典では、関琢磨住職が「平和のためにこれからも供養を続けたい」とあいさつ。来賓の服部友則・八千代市長は「この鐘楼は日韓心の絆の象徴」と述べた。韓国で募金活動に当たったユーラシア文化連帯の辛利永(シン・イヨン)理事長(77)は「日本は歴史を直視し反省しなくてはならない。けれども、恨んでばかりいられない。両国が平和に暮らせることが犠牲者への供養になる」と語った。【隈元浩彦】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>