「パンダたいそう」人気絵本作家・いりやま氏 亡き妻と息子への思い

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「パンダたいそう」シリーズを手がけるいりやまさとしさん。読み聞かせでは子どもたちが自然と体を動かし始めるという=東京都文京区の講談社で2025年6月6日午後4時5分、御園生枝里撮影 世界累計発行部数1100万部突破の絵本「ぴよちゃん」シリーズ(Gakken)、保育園で人気の「パンダたいそう」シリーズ(講談社)を手がける絵本作家のいりやまさとしさん。今年4月に最新作「パンダおやすみたいそう」を出版した。 2018年に妻をがんで亡くし、2人の息子を育ててきたシングルファーザーでもある。 「自分や家族の思い出を絵本にしています」 幼い息子たちの愛らしさ、妻亡き後の喪失感、母を失った思春期の息子との向き合い方――。 いりやまさんに創作活動の源となっている家族の物語を聞いた。息子の誕生をきっかけに絵本「パンダなりきりたいそう」のラフ段階(上)と完成本。当初はチューリップに目はなく、途中で思いついたという=東京都文京区の講談社で2025年6月6日午後3時58分、御園生枝里撮影 新作の「パンダおやすみたいそう」は深呼吸やヨガの動きを取り入れ、パンダが猫やイルカになりきりながら体と心を落ち着かせ、寝る準備をしていく内容。いりやまさんの代表作「パンダたいそう」シリーズの9作目にあたる。Advertisement 16年出版の「パンダともだちたいそう」や「パンダなりきりたいそう」で、愛らしいパンダの動きが読者の心をつかみ、シリーズ化された。 このパンダの動きを着想したきっかけは、次男だった。保育園児のころ、園の運動会で組み体操をする姿が「あまりに愛らしく、絵本にして残したかった」と振り返る。 「ぴよちゃん」「パンダたいそう」の両シリーズともに、2人の息子がきっかけで誕生したものだ。 「ぴよちゃん」は長男が生まれたときに、編集者に「記念に絵本を出しましょう」と声をかけられ、手がけたものだ。「ぴよちゃんのかくれんぼ」=Gakken提供 いりやまさん自身が幼いころ、迷子になって不安だった体験を基に、ひよこのぴよちゃんがお母さんをさがす物語として描いた。 03年に「ぴよちゃんのかくれんぼ」「ぴよちゃんのおかあさんどこ?」を出版。子どもが喜ぶ仕掛け絵本で、シリーズ作が続々と刊行された。やらないといけないこと 絵本制作の大きな力となっていたのが、9歳下の妻の存在だった。 妻を失った悲しみは大きかった。しかし妻亡き後の暮らしの中で、「絵本作家としてやらないといけないことが見えてきた」とも振り返る。 「伴侶がいなくなって寂しい。口に出せない気持ちを絵本で表現することで伝えようと思いました」 20年に出版された「あかい てぶくろ」(講談社)は、雪の降る中、片方だけ落ちている赤い手袋がもう片方の手袋をさがしに行く物語だ。 「自分の気持ちを絵で描くことで癒やされていきました」 同じ境遇の読者から手紙が届くこともある。新しい絵本も制作中のいりやまさとしさん。「子どもが嫌がることを楽しめるようになる絵本を」と考えている=東京都文京区の講談社で2025年6月6日午後4時10分、御園生枝里撮影互いの色を認め合う暮らし いりやまさんは、幼稚園や保育園で配られる「月刊保育絵本」で絵を描いていたとき、編集長をしていた妻と出会った。 00年に結婚。自主制作した絵本「みどりのくまとあかいくま」を結婚式の引き出物として配った。 それぞれの色を認め合って暮らしていく物語で、後に出版された。妻のことを「無理なく一緒にいてくれた人、自分が自分らしくいられる人」と語る。 しかし14年、妻にがんが見つかった。 手術を受け、仕事にも復帰したが、2年後に再発。骨への転移も見つかった。 抗がん剤などの治療を受けたが、医師から「時間が限られています」と宣告された。「パンダたいそう」シリーズは累計37万部の人気作品=東京都文京区の講談社で2025年6月6日午後4時6分、御園生枝里撮影今も後悔「残された時間を大切にできたか」 妻は亡くなる直前まで、自宅で車椅子を使って普段通りに生活した。 いりやまさんは、妻本人の希望を踏まえ、自宅での闘病生活を支えた。 ただ、家族旅行など、特別な時間をつくることはできなかった。 病気の進行が早く、仕事に加えて小中学生だった息子たちの育児や家事もあり難しかったからだが、後悔は消えないという。 「残された時間をちゃんと家族で大切にしていたかというと、僕はいまだに『冷たかったな』と反省しています」 妻は18年、51歳で亡くなった。息子たちは小学3年生と高校1年生だった。成長を見届けることはできなかった。 「こればかりは本人でないと分かりませんが、つらかったと思います」常にそばに感じられるように 父親ひとりでの子育ては、試行錯誤の連続だった。子どもたちの喪失感は計り知れなかった。「ぴよちゃんのおかあさんどこ?」=Gakken提供 一時は反抗的だった長男は妻の死後、「いい子」になった。「無理させていないか」と心配した。 「お母さんだったらどうするかな?」 「お母さんの好きなおかずだね」 いりやまさんは息子たちが常に母親を感じられるように話すことを心がけたという。 「自分が安心できましたし、子どもたちもそうだろうと思ったからです」子どもが迷うのは当然 次男が「学校に行きたくない」と言い出した時期もあった。関係機関に相談しても、すぐに解決策は見つからなかった。 「一緒にいればいい」と自分なりの答えを導き、「どこか行こうか」と、映画館や動物園に出かける時間を持つようにしたという。 次男はその後、学校に通うようになった。制作の思い出を語るいりやまさとしさん=東京都文京区の講談社で2025年6月6日午後4時10分、御園生枝里撮影 ただ今も、「学校に行くこと」が絶対の正解ではないと思う。 「僕も人生をいろいろ迷っています。フリーの仕事だから、家で絵を描いていた方がいいのか、イベントに参加した方がいいのかと選択の連続。子どもが迷うのは当然です」けんかしても夕飯は一緒に シングルファーザーになって7年。「家でできる仕事で、好きな仕事をさせてもらっています。ワンオペの大変さは感じません」 長男は今春、大学を卒業し、次男は高校1年生になった。「成長して接点が少なくなってきました。平日の夕飯は一緒に食べたいと、毎日作っています。親子げんかしていても晩飯にはくるんです」と笑う。 手がかかる時期は過ぎたが、息子たちに寄り添う姿勢は貫いているいりやまさん。子育て中の家庭にはこうメッセージを送る。「今を楽しんでほしい」【御園生枝里】