8月15日プラス終わらなかった戦争毎日新聞 2025/8/23 08:30(最終更新 8/23 08:30) 1842文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷佐藤卓己・上智大教授=東京都千代田区で2025年8月6日午後0時半ごろ、高橋昌紀撮影「終戦の日」について、戦前戦中のメディア史に詳しい佐藤卓己・上智大教授に聞いた。 ――アジア太平洋戦争は、いつ終わったのでしょうか。 ◆日本政府は当初1945年の「8月14日」としていました。ポツダム宣言を受諾し、昭和天皇の「終戦ノ詔書」が発布された日です。軍事的には、大本営が8月16日に「作戦停止命令」を出しています。ただ自衛のための戦闘は認められ、ソ連軍などとの交戦状態は継続されました。「終戦の日」とは 「玉音放送が流れた日」の8月15日を公式に「終戦の日」としているのは、現在では基本的に日本と韓国、北朝鮮だけです。Advertisement 世界の標準的な見方は主に9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号上で日本が「降伏文書」に調印した日です。米国などは「対日戦勝記念日」(VJデー)としています。ロシアや中国は翌3日を記念日としています。 ――日本では、なぜ8月15日が定着したのですか。 ◆48年、当時の総理庁官房審議室世論調査班が祝祭日に関する意識調査をしました。「平和祈念の日」の候補で最も多かったのは「将来に講和条約が結ばれた日」でした。一方「追悼の日」の最多は4月30日。これは靖国神社の例大祭の日(当時)です。次が「8月15日」でした。 ただ、サンフランシスコ講和条約が結ばれた9月8日(51年)が「平和祈念の日」になることはありませんでした。同日に軍事同盟である日米安全保障条約が結ばれたからです。そこで「8月15日」が急浮上しました。 ――すんなりと決まったのですか。 ◆お盆には戦前から戦没者慰霊法要が行われており、「平和祈念の日」を重ねることは多くの国民が受け入れやすいことでした。思想的には政治学者の丸山真男が8月15日に天皇主権から人民主権に移行したとする「8・15革命論」を唱えたこともあり、この日は左派にとって重要です。また「9月2日の降伏」は、右派にとっては屈辱的でした。背中合わせでもたれ合う左右両派にとって、均衡点である8月15日は都合が良かった。 ただし、調整に時間はかかりました。戦没者追悼をこの日とする実施要項を定めたのは63年の池田勇人内閣、さらに現行の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が閣議決定されたのは82年の鈴木善幸内閣のときです。 ――「追悼」と「平和祈念」が一元化したのですね。 ◆そのことが日本人の思考を情緒的に封じ込めてしまいました。 死者を悼みつつ、その責任までも問うことは難しい。そこに「靖国問題」の起源もあると思います。「終戦の日」に靖国神社に参拝することは「今度は負けない」との意思表示だと外国人に受け取られ、批判されてもおかしくない。 ――解決策はあるのでしょうか。 ◆「政教分離」が必要です。信仰や心情の問題と、妥協も必要な安全保障の問題は、ひとまず切り離して考えた方がよい。佐藤卓己・上智大教授=東京都千代田区で2025年8月6日午後0時半ごろ、高橋昌紀撮影 8月15日は「追悼の日」として戦没者を悼みます。9月2日を「終戦の日」として、平和のためのメッセージを世界に発します。この日に第二次世界大戦の参戦国首脳を東京に招いてもいい。 自国中心の懐古的・情緒的な「8月ジャーナリズム」から、世界標準の未来展望・対話的な「9月ジャーナリズム」へ転換も必要です。9月には満州事変勃発(31年9月18日)や第二次世界大戦開戦(39年9月1日)もあり、戦争はなぜ起きるのか議論をするには最適です。 ――新たな「終戦の日」を設ける意義は。 ◆正確には、現行の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を「分割する」です。現代戦では、終戦日だけでなく開戦の時期さえ曖昧です。現在のウクライナでの戦争も宣戦の布告はありませんでした。一方でロシアの軍事侵攻前から、情報戦、思想戦などのハイブリッド戦争は始まっていました。トランプ大統領の米国も、経済戦争を仕掛けていると言えないでしょうか。 この複雑な21世紀の安全保障に、日本人は向き合わなければなりません。それにはリベラルにしろ保守派にしろ、追悼しつつ議論するという現状では折り合いがつかなくなる。議論の土俵を整えるため、戦没者追悼の日と平和祈念の日に分割し、9月に討議的民主主義を実践すべきです。【聞き手・高橋昌紀】=おわりさとう・たくみ 1960年生まれ、広島市出身。京大文学部で西洋史学を専攻する。京大教授などを経て、2024年から上智大教授(文学部新聞学科)を務める。メディア史研究の第一人者。著書に「八月十五日の神話」など。「ファシスト的公共性」で、第72回毎日出版文化賞を受賞した。【時系列で見る】【前の記事】飢餓のメレヨン島から生還 「弔問の旅」終え2年後に自決した指揮官関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>