出生時、左の手足はただれ… 胎内被爆の79歳「俺みたいになるな」

Wait 5 sec.

有料記事野田佑介2025年8月29日 7時02分藤田和矩さん。父と育ての母の遺影が見守る=2025年8月23日、青森県八戸市、野田佑介撮影 終戦間際の1945年8月6日。青森県八戸市の藤田和矩(かずのり)さん(79)は、広島で暮らしていた母のおなかの中で被爆した。その事実を知ったのは10代の半ばになってからだ。被爆から80年、核兵器をなくすため、今も声を上げ続ける。 岐阜県への高校進学のために親元を離れる際、父が取得してくれた被爆者健康手帳で自分が胎内被爆者だと知った。 母・俊子さんが被爆したのは、原子爆弾が落とされた広島市の爆心地から1.5キロほどの自宅。原爆によって崩れ落ちた屋根の下敷きになり、下半身に大やけどを負った。 母は終戦後の46年3月に藤田さんを産んだが、その半年後に亡くなった。まだ21歳だった。生後わずか半年だった藤田さんに母の記憶はない。藤田和矩さんの母・俊子さん=藤田さん提供 母の死後、父の出身地の八戸に移った。父は戦争や原爆のことを語ろうとせず、母の話は祖父母や親戚から聞いた。 藤田さんも妻や子たちに、自分が胎内被爆者であることを話してこなかった。「いい話じゃないから、言いたくなかった」。家族は、被爆者宛てに国から届く手紙で知ったようだ。 「青森県原爆被害者の会」で会長を務め、依頼を受けて人前で自身のことを話すようになった。理由は一つ。「俺みたいにならないでほしいから」 藤田さんは生まれたとき、左の腕や足がただれていた。4歳まで立って歩けず、小学校は1年遅れで入学した。原爆のせいかは定かでないが、30代で歯がすべて抜け落ちた。高齢になって腎臓にがんを患い、人生の終わりを覚悟したこともある。がんは克服したが、今はまっすぐ歩くこともままならない。オバマ氏の広島訪問求める手紙、駐日大使に それでも、戦争のない世界を…【U30応援割】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら3カ月間月額99円!詳しくはこちらこの記事を書いた人野田佑介青森総局|県政担当専門・関心分野災害復興、防災、人口減少、命戦後80年第2次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が犠牲になったと言われています。戦後80年となる今年、あの時代を振り返る意義とは何か。全国各地のニュースをまとめています。[もっと見る]こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ8月29日 (金)金正恩氏、6年半ぶり訪中へフジテレビが当時の幹部提訴大谷翔平、2年ぶり勝利投手8月28日 (木)総裁選要求は「記名必須」に三菱商事が洋上風力発電撤退「特別ビザ」誤情報で混乱8月27日 (水)投票見返りに報酬約束の疑い日産GT-Rが生産終了火山灰で新宿が暗闇に8月26日 (火)元顧問の遺族に直接謝罪首脳会談の調整中も空爆激増スマホ「1日2時間以内」トップニューストップページへ自民の参院選総括案 首相の個人責任を強調せず、党全体に敗因0:45川重、海自潜水艦燃費データを改ざんか 防衛省に報告、外部委が調査0:40クックFRB理事、トランプ氏を提訴 解任は「前例のない違法行為」6:02日英防衛相会談、「準同盟」の関係深化を確認 英空母への乗艦も6:30事件2日前に「好みのタイプと思って後つけた」 神戸女性刺殺容疑者21:30100歳のノーベル賞学者が語る量子力学 江崎玲於奈さんが越えた壁18:00