毎日新聞 2025/8/28 09:15(最終更新 8/28 09:15) 418文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷かつての防空壕は資材などの置き場に=広島市南区の金輪島で2025年8月7日午前10時45分、宇城昇撮影 原爆投下から80年の節目を迎えた翌日の7日、市民グループのフィールドワークに同行して金輪島(広島市南区)を巡り、忘れてはならない戦争の記憶と爪痕をたどった。 広島港から船で10分ほどの島には戦時中、陸軍船舶司令部(暁部隊)の工場があった。動員学徒が作業に駆り出されていた。原爆投下直後には500人ともされる負傷者が運ばれ、その多くが命を落とした。Advertisement造船工場の施設が建ち並ぶ金輪島=広島市南区で2025年8月7日午後2時25分、宇城昇撮影 島の西側には、犠牲者を悼んで「御霊 安かれ」と記された石碑がひっそりと建つ。この島で父を亡くした兄弟が1998年に私費で建立し、慰霊の集いを続けてきた。高齢で執り行うことが難しくなり、今夏は集まった有志で献花した。これから、誰が、どうやって碑を守っていくのだろうか。原爆投下後に金輪島に運ばれて亡くなった人たちの慰霊碑=広島市南区の金輪島で2025年8月7日午前11時18分、宇城昇撮影 島の主要部分を占めていた軍施設は戦後に造船所になり、住民の多くは工場の従業員だ。戦時下に築かれた防空壕(ごう)やトンネルなどの遺構、古びた井戸や神社などが往事の名残をとどめる。忘れられた戦跡にしてはならない。【宇城昇】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>