震災直後から学校新聞 書き残した大沢小の記憶、当時の教員ら回想

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毎日新聞 2026/2/24 07:15(最終更新 2/24 07:15) 1066文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷大沢小で学校新聞製作を指導した佐藤はるみさん(中央)はシンポジウムで何度も涙を見せた=岩手県山田町で2026年2月21日、奥田伸一撮影写真一覧 2011年3月の東日本大震災で被災した岩手県山田町大沢地区で21日、地域シンポジウム「未来に伝える東日本大震災の記憶」が開かれた。地元の大沢小(20年閉校)で震災直後も学校新聞の発行を続けた当時の教員や児童が、取材や記事執筆から学んだことや今後への決意を語った。 大沢地区は震災で121人が犠牲になり、家屋の7割が損壊した。シンポは同地区と縁が深い麦倉哲・岩手大名誉教授(災害社会学)が、震災から15年の節目に交流の場を作ろうと地元自治会と共同で企画。大沢小の元教諭で、閉校までの11年間学校新聞を指導した佐藤はるみさん(66)=山口県周南市=や佐藤さんの教え子に呼び掛けた。Advertisement 大沢小の学校新聞は04年に創刊。学校生活や地域活動を取り上げ、閉校までに175号を発行した。震災後は避難所や仮設住宅で配布し、住民を勇気づけた。「全国小・中学校・PTA新聞コンクール」(毎日新聞社など主催)では最高賞をはじめ何度も上位に入賞した。児童が各自でまとめる「個人新聞」もあった。 地区公民館で開かれたシンポには、佐藤さんと当時5~6年生だった男性5人が登壇し、住民ら約20人が訪れた。会場には「海よ光れ」と題した学校新聞や個人新聞の拡大コピーなど資料計150点が掲示された。大沢小の児童が書いた「個人新聞」には震災から10日ほど後に書かれたものもあった=岩手県山田町で2026年2月21日、奥田伸一撮影写真一覧 6年生の担任だった佐藤さんは震災直後に「起きたことを書き残そう」と厳しい状況下での個人新聞作りを決意。東京電力福島第1原発事故についても耳にし、不安が広がっていた時期だった。中村海成さん(27)は「当時は親戚の家にいた。停電が続いていて、暗い場所で書いた記憶がある」と振り返った。 4月中旬には学校新聞の発行も再開した。佐藤さんは「原稿を書くことで自分の気持ちを整理できるし、記事の結びを考える時は、前向きな言葉が浮かんでくる」と振り返った。福士悠太さん(26)は「仲間と協力し合って新聞を作った経験は、社会人になっても生きていると感じる」と話した。現在は山田町職員で、25年4月から能登半島地震で被災した石川県輪島市に派遣されているという。 登壇者からは今後の決意表明もあった。震災で漁師だった父康則さんを亡くした鳥居勢矢さん(27)は「自然災害で誰一人として命を落とすことがないように、自分の記憶をつないでいきたい」と話した後、「今も父のようになりたいと思うし、強く生きたい」と言い切った。 教え子たちの成長を目の当たりにした佐藤さんは「大沢地区には一生懸命生きてきた子供たちと、それを支えた大人たちがいる。これからも大沢は大丈夫だ」と感激していた。【奥田伸一】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>