【懐かしの自衛隊】え、デジタル迷彩の61式戦車!? 国産の最新鋭戦車として74式戦車が脚光を浴びていた1970年代

Wait 5 sec.

2025.09.05武若雅哉(軍事フォトライター)tags: 61式戦車, 74式戦車, ミリタリー, 戦車, 歴史, 軍用車両, 陸上自衛隊, 静岡県2023年度末をもって全車が退役した陸上自衛隊の74式戦車ですが、同車が期待の最新鋭戦車だったころを振り返ってみましょう。富士学校では61式戦車を使って迷彩塗装の試行錯誤も行われていました。戦車の迷彩塗装も迷彩服もなかった時代 日本最高峰の山として世界的にも有名な富士山。その名を冠する陸上自衛隊の教育機関、それが静岡県の小山町にある富士学校(富士駐屯地)です。ここは陸上自衛隊の主要職種である「普通科」「特科」「機甲科」、この3つに関する人材の育成や調査研究をメインで行っています。 富士学校が誕生したのは、陸上自衛隊が発足したのと同じ年、1954(昭和)年です。それまで福岡県にあった普通科学校(前川原駐屯地)、千葉県にあった特科学校(習志野駐屯地)、群馬県にあった機甲特別教育隊(相馬原駐屯地)を合併する形で新設されました。 以来、様々な試行錯誤やトライアルがこの地で行われてきましたが、今回は車両迷彩の研究が行われていた頃を振り返ってみましょう。 写真が撮影されたのは1970年代後半の富士駐屯地で、その中の戦車パークと呼ばれる、いわば戦車専用の駐車場です。 当時は74式戦車が最新鋭の戦車として登場して間もない時期で、主力はまだ61式戦車といった感じでした。 多数並んだ戦車の中には、塗料をモザイク状に塗り分けた「デジタル迷彩」の前身のような61式戦車の姿もあります。戦車を見学する海兵隊員の服装を見ると、どうやら冬の時期だったのでしょう。あまり雪が降らない富士地区ですが、もしかしたらこの61式戦車で冬季迷彩の研究をしていたのかもしれません。 また、最新鋭の74式戦車による姿勢制御を行う姿も撮影されていますが、砲身あたりを見てみると、晩年の74式戦車で見られたサーマルスリーブ(ジャケット)は装着されておらず、排煙器も少し小さいように見えます。 車体はOD一色で迷彩塗装されておらず、初期型の74式戦車であることがわかります。 61式戦車はトータル560両が生産され、2000(平成12)年にすべてが退役しました。一方の74式戦車は873両が生産され、2024年に退役が完了。今では両者とも全国の駐屯地などで、ゲートガードとして往時の姿を残しています。拡大画像油圧サスペンションによって車高を最大まで上げた状態の74式戦車。姿勢変換は74式戦車のお家芸である。乗員がヘルメットやライナーではなく、帽子で乗っている点も時代を感じさせる(Hideki Miyashita撮影)。残り28文字この続きは有料会員登録をすると読むことができます。会員の方はこちらからログイン2週間無料で登録する2003年陸上自衛隊入隊。約10年間勤務した後にフリーフォトライターとなる。現場取材に力を入れており、自衛官たちの様々な表情を記録し続けている。「SATマガジン」(SATマガジン編集部)や「JWings」(イカロス出版)、「パンツァー」(アルゴノート)などに寄稿。