毎日新聞 2025/9/9 08:15(最終更新 9/9 08:15) 1134文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷阪神タイガースを題材にした句集を手にする木割大雄さん=兵庫県尼崎市で2025年9月4日午後4時9分、花牟礼紀仁撮影 「こんなに安心して見ていられるシーズンは初めてだった」。兵庫県尼崎市の俳人、木割大雄さん(86)も、阪神の優勝を心待ちにしていた一人。かつて13年にわたってスポーツ紙で連日、阪神の戦いを句にして発表した「トラ俳句」の達人は、攻守に隙(すき)のない選手らの躍動に目を細めた。 肌寒く勝利の中でふるえけり 1985年10月16日、阪神が21年ぶりのリーグ優勝を決めた時の一句だ。 木割さんが「虎酔」と号して阪神を題材に句をつくるようになったきっかけは、その数年前。友人が阪神甲子園球場(西宮市)近くで布団店を営んでおり、当時の選手らを詠んだ句を店頭に掲示していた。それを聞いたスポーツニッポンのデスクから誘われ、84年のシーズンに連載を始めた。毎日、試合を見て句をつくり電話で編集部に伝える。旅先では、電話で結果だけを聞いて即興で詠むこともあった。Advertisement シーズン中は同じ季語を避ける、選手の名前をなるべく入れないといった決まりを自分に課した。「春季キャンプを見に行った時も歳時記を持っていた」と振り返る。負け試合の方が詠みやすかったという。「句の中で作者の気持ちを代弁してくれる季語には、しんみりと余韻のあるものが多い。たとえば『散る桜』とすれば、負けて悔しいなというのが伝わるでしょ」。シーズン開幕前から詠み続けた年もあった。 西宮市出身。国民学校1年生だった45年8月5日の西宮空襲では、焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中を母と幼い妹と逃げ延びた。避難先の姫路市から戻った4年生以降は、甲子園のお膝元・鳴尾地区で育った。甲子園についての幼少期の記憶は、野球ではなく映画だという。「グラウンドに設置した大型スクリーンで、外野席からニュース映画などを見た記憶があります。球場のガラス窓は、ほぼ全部割れていた」吉田義男さん=兵庫県西宮市で2023年9月24日、西村剛撮影 当時の鳴尾にはイチゴ畑が広がっていた。そんな思い出を後年、ある名将と語り合ったことがある。今年2月に91歳で亡くなった吉田義男さんだ。阪神の内野手として鳴らし、85年優勝時の監督。19年にイベントで同席する機会があった。 片蔭やちらりと強気の京訛(なまり) 京都出身の吉田さんを詠んだ句だ。「俳句は監督や選手へのファンレターでもある。優勝は吉田さんへのいい手向けになったね」 現役時代は「火の玉ストレート」で知られ、就任1年目に手腕を発揮した藤川球児監督や、森下翔太、佐藤輝明両選手という若き3、4番コンビを支える大山悠輔選手の底力に着目してきた木割さん。今季の阪神を句にすると?セ・リーグ優勝を決め、胴上げされる阪神の藤川球児監督=阪神甲子園球場で7日、大西岳彦撮影 監督は火の玉投手秋祭 「まずは監督をたたえたい。良い選手が育っていることを収穫を祝う『秋祭』になぞらえた。日本一に向け、もっと本塁打を見たい」とポストシーズンにも期待した。【花牟礼紀仁】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>