毎日新聞 2025/9/9 07:15(最終更新 9/9 07:15) 960文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷自宅が流されて傾いた当時の様子を語る栗田千代子さん=常総市で2025年8月22日午後4時41分、酒造唯撮影 災害関連死を含め16人が亡くなった2015年9月の関東・東北豪雨で、鬼怒川の堤防が決壊してから10日で10年になる。市内の約3分の1が浸水した茨城県常総市。栗田千代子さん(83)は、自宅近くで夫要也(かなや)さん(当時71歳)を亡くした。この10年、片時も忘れたことはないといい、今でも亡き夫に語りかけ続けている。 千代子さんは長野県生まれで、常総市出身の要也さんと結婚。夫婦で外壁工事業を営み、トラックで東京都内の現場へ走り回り、男性ばかりの職場で朝から晩まで働き続けた。3人の娘が独り立ちした後は2人だけの生活に。いつも「お父さん」「おーい」と呼び合う仲だった。Advertisement 15年9月10日の昼過ぎ、自宅からすぐ近くの堤防が決壊した。「ゴーッ」というごう音とともに濁流が襲った。土台を支える地面がえぐれ、自宅がぐわっと傾いた。 「早く高いところへ上がれ」。近所の人の叫び声を頼りに、千代子さんは間一髪、出窓からはい出て、ヘリコプターで救助された。 要也さんは当時、自宅の敷地にある2階建て倉庫で作業をしていた。目撃した人によると、要也さんは倉庫の屋根に逃れ、そのまま屋根ごと流されたが、電柱に衝突して水の中に転落したという。 「泳ぎが上手だから、きっと大丈夫なはず」と無事を信じて捜し回った。しかし3日後、約900メートル離れた用水路のそばで亡くなっていた要也さんを、近くの人が見つけた。水害で亡くした夫要也さんとの思い出の写真を手にする栗田千代子さん=常総市で2025年8月22日午後4時39分、酒造唯撮影 「見ない方がいい」と警察官に言われながらも警察署で遺体と対面したが、要也さんとはわからないほど損傷が激しかったという。 千代子さんは被災後2年間、つくば市の県営住宅に住んだ後、元の場所に自宅を再建した。水害を受けた場所に建て直すことには葛藤もあったが、「お父さんの家族のお墓がある」ことを理由に決断した。 10年がたち、娘や孫にもほとんど水害の話をすることはなくなったが、自宅では「おはよう」「行ってくるよ」「ただいま」と、事あるごとに要也さんに声をかけている。要也さんと2人で撮った思い出の写真を入れた額縁を、よく手にとって見返すという。 「今でも夢に出てくるんです。『千代子』と名前で呼んでくれる。いつも『おーい』だったのにね」。水害の記憶は消えないが、要也さんとともに、最期までこの地で、前を向いて生きていくつもりだ。【酒造唯】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>