Aストーリーズ「あなたの『手術』に同意するのは?~身寄りなき老後」【Aストーリーズ】あなたの手術に「同意」するのは? 身寄りなき老後〈1〉 医療費のことや、退院後の行き先や在宅生活のこと。病院で働く医療ソーシャルワーカー(MSW)のもとには、患者や家族からさまざまな悩みごとが寄せられる。 一方、医師や看護師からの依頼や相談も少なくない。 「患者さんを連れてきたタクシーの運転手が、自分が同意書にサインするから患者さんの手術をしてほしいと言っています」 JCHO(地域医療機能推進機構)中京病院に勤めるMSW、大寺直子さんに、院内の医師からそんな連絡が入ったのは、数年前のこと。医師は、その言い分をそのまま受け入れるわけにもいかず、対処に困って連絡してきたようだ。 名古屋市南区にある同病院は、580床ある地域の中核病院で、救命救急センターや集中治療室(ICU)なども備える。大寺さんはすぐ、連絡してきた歯科口腔(こうくう)外科に向かった。 車いすに乗った男性に、別の男性が、「大丈夫だよ、心配しなくていいから」などと声をかけていた。 「どういうご関係ですか?」 大寺さんが尋ねると、声をかけている男性は、福祉タクシーの運転手だった。車いすの男性を病院まで連れてきたのだという。JCHO中京病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)で、主任をつとめる大寺直子さん。ひっきりなしに相談の連絡が入る=2025年10月9日、名古屋市南区、山田史比古撮影 主治医や運転手などの話によると、こういう事情だった。 男性は、名古屋市内の高齢者施設で暮らしていた。施設であった歯科検診で歯の痛みを訴え、同病院を受診。この日は、そのときの検査結果を聞くためにタクシーで来院した。「身寄りなき老後」シリーズ 今回は「医療同意」 身寄りがない人が増え、社会的な課題となっています。私たちは「身寄りなき老後」シリーズで、実際に困りごとを抱えた人や、解決を模索する支援の現場を訪ねてきました。今回は「医療同意」の問題を追います。医療現場では何が起きているのでしょうか。「身元保証サービス」を使っていた男性 頼れる身寄りがいない男性は、入院や施設入所時の「身元保証」などのサービスを有料で提供する「高齢者等終身サポート事業者」と契約していた。男性を乗せてきたタクシーも、事業者が手配したものだった。 男性は、軽度の認知症が疑われる状態だった。検査の結果、男性は口腔(こうくう)がんとみられることがわかった。医師は、治療方法として、放射線治療、手術による舌の切除、抗がん剤といった選択肢があり、それぞれにメリットもデメリットもあることを、できるだけかみくだいて説明した。もちろん、その場ですぐに選んでもらうものでもない。 男性は「どうしよう。困ったな」と困惑した様子だった。そこで、運転手が「同意書は自分が書くので、手術してください」と言い出し、男性を説得していたのだという。 「運転手さんも、人がよさそうな印象で、よかれと思ってしていたんでしょうけど」と大寺さん。運転手は「サポート事業者から、医療への同意も頼まれている」とも話したという。JCHO中京病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)、大寺直子さん。MSWにはさまざまな相談が寄せられる=2025年10月9日、名古屋市南区、山田史比古撮影 がんだと伝えられ、その場で治療方針を選ぶことは、判断能力に問題がない人でもできるものではない。「この場ですぐ決めてもらうものでもありませんので」。病院側はそう伝え、いったん男性に引き取ってもらった。 手術など複数の医療行為が治療の選択肢となる場合、リスクも理解したうえで本人が選び、その治療に同意する必要がある。従来、認知症などで本人による意思決定が困難な場合は、家族が代わりに決め、同意することが当然視されてきた。 高齢化に伴って認知症の人が増えた一方で、結婚しない人や子どもがいない人の増加、長寿命化などを背景に、「頼れる身寄りがいない高齢者」が増えている。 厚生労働省は2018年、認知症の人の意思決定を支援するためのガイドラインを公表した。症状にかかわらず、「本人には意思があり、意思決定能力を有する」と明記。周囲の人たちに対し、本人の認知能力に応じて理解しやすいように説明する、身ぶり手ぶりや表情の変化も読み取る努力をするなど、さまざまな意思決定の場面で、本人の能力を引き出す働きかけをするよう求めた。 厚労省は2019年、身寄りがなく、意思決定が困難な人の入院や医療に関するガイドラインもまとめた。意思決定が難しい場合、病院関係者に加え、地域や施設などでのかかわりを通して日常の様子をよく知る人が本人の意思を推定するなどし、話し合って本人にとって最善の方針をとることを求めている。医療同意・意思決定支援の流れ国のガイドライン「医療同意は一身専属」 医療同意は、その人特有の権利で、他人には代替できない「一身専属性」がきわめて強い、と強調。急増する終身サポート事業者には、同意する権限はないものと考えられる、とした。それに基づけば、たまたま手配されたタクシー運転手に同意の権限はない。 大寺さんは、男性が暮らす施設に問い合わせた。医療についてはサポート事業者に任せている。そういう説明だった。事業者にも聞いた。「同意書は運転手に委託しています。書いてもらってください」と言われた。 「本人が同意できなくても、誰かの同意がとれればいいんだろう。まだまだ病院はそう思われている。そう突きつけられた気がしました」。大寺さんは振り返る。「確かに、20年以上前は、家族が本人の代わりに決め、同意するのが通例で、そこに違和感がない時代でした。でもいまは、仮に家族がいても家族に決めてもらうのではなく、一緒に本人の意思決定を支援していく時代なのです」重ねて説明を受けた男性が最終的に選んだのは 大寺さんは、医師や、認知症ケアなどに関する専門的な知識があり高齢者看護の資格を持つ専門看護師らと相談。改めて男性への説明の場を設定した。JCHO中京病院 病院側は、イラストも交えてできるだけわかりやすく、それぞれの選択肢について繰り返し説明し、その日はそれで終了。施設にも依頼して、施設に戻ってからも落ち着いた状態で男性に声をかけてもらった。男性の気持ちは、手術に傾いている様子だったという。さらにもう一度、病院に来てもらって改めて説明を重ねると、男性は手術を選び、自ら同意書に署名した。 ただ、同意書だけではどういう経緯で手術を決めたのかがわからない。意思表明に難点がある人だからこそ、周囲からの働きかけや本人の発言を含め、記録もあわせて残すことにした。 中京病院には、意思決定が困難な人のケースを含め、臨床現場で生じるさまざまな倫理的な課題を定期的に検討する倫理委員会がある。それに加え、2025年2月、MSWや臨床心理士なども含めてより多職種で構成する臨床倫理コンサルテーションチームを設けた。事例が生じる度に、参加可能なメンバーが集まって意見を出し合うなど、機動的な対処をめざす。大寺さんもチームの一員だ。JCHO中京病院では、臨床倫理の課題を多職種で検討するコンサルテーションチームの活動が、2025年2月から始まっている いずれ誰もが当事者として、医療に関する意思の決定や表明が難しくなったり、延命治療を望むかどうかの選択を迫られたりする場面がくる。大寺さんは、「誰かその人の代わりに同意してくれる人を探して話を進めるのではなく、病院内外でかかわる人たちが一緒になって意思決定を支援していく必要がある。そのとき、その人の立場になって考えられるのか。誰かにあらかじめ意思を伝えておく関係性を築けるのか。誰もが問われている時代なのではないでしょうか」と指摘する。次回は…… 救急搬送された意識不明の患者には、子どもがいるものの、長い間、音信不通の状態が続いているという。今後、もし容体が急変した場合どうすればいいのか。次回は、そんなケースを取材しました。あなたの手術に「同意」するのは? 身寄りなき老後 イラスト・童佳奕