毎日新聞 2026/3/28 12:15(最終更新 3/28 12:15) 1315文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷1948年に引き揚げた姉2人の名前がある名簿の誤りを見つけ、修正のペンを入れる鈴木昭男さん=根室市で2025年6月12日午後5時32分、森原彩子撮影 「どこかにあるはずなんだけどな」。2025年6月、北海道根室市の鈴木昭男さん(85)は首をかしげていた。 終戦時に北方領土から樺太(現ロシア・サハリン州)経由で北海道に引き揚げた元島民が乗った船の乗船名簿のことだ。Advertisement 鈴木さんは国後島東部の留夜別(るやべつ)村で生まれた。終戦時は4歳で、6歳で函館に引き揚げた。 ところが、札幌市内で25年5月に開かれた乗船名簿の閲覧会に参加した息子からは「名前を見つけられなかった」と連絡があった。1948年の名簿に親戚宅に住んでいた姉2人の名前はあった。疑問は深まった。 島にいた当時の記憶はおぼろげだが、「あの頃はよかった」と振り返る情景は思い起こせる。家は標高1772メートルを最高とする爺爺岳(ちゃちゃだけ)のふもとの海のそばにあった。 家の前の浜で近所の子供たちと遊び、サケが捕れる川の橋の上から釣りを楽しんだ。母に村の中心部に連れていってもらった思い出もある。中心部には役所や寺などが集まっていた。 終戦直前の45年7月に父が島で病死し、9月に旧ソ連が上陸した。その時は怖い思いはしなかったと覚えているが、2年後に強制的に島を追われた。乗船名簿の鈴木昭男さん一家の欄。戸主には「児玉」姓の男性の名前がある=千島歯舞諸島居住者連盟関東支部提供 「(引き揚げ時は)栄養失調になっちゃってね。母は子供5人を連れて大変だったんじゃないかな」 引き揚げた後は根室市の親戚宅に身を寄せ、母は水産加工場などで働きづめだった。「頭が良い人だった」という母は、2011年に90代で生涯を閉じた。「どんな苦労があったか、もっと聞いておけば良かった」と悔やむ。 鈴木さんは、終戦時に住んでいた集落の元島民らでつくる「爺々(ちゃちゃ)山会」の会長を23年まで務め、北方領土返還運動に携わってきた。 周囲からは「もう無理だよ。返ってなんかこない」といった声も投げかけられた。現在の日露関係を考えれば道のりは長いと思う。だが「生きている間に(返還が)できればいい」という思いは捨てていない。 25年夏、根室でも名簿の閲覧会があった。足を運んだ鈴木さんは「必ずあるはず」と信じてページをめくったが、なかなか家族の名前は見つからなかった。 1947年11月に函館港に入港した「高倉山丸」の名簿をめくっていると、手が止まった。母の「トシ」という名前があった。その隣には、亡くなった父の「鈴木」姓ではなく、「児玉」姓の男性の名前があった。 「そういうことか」。合点がいった。旧ソ連上陸後、時折家を訪れ、家族の面倒を見てくれた人がいたことを思い出した。 親戚からその人が「児玉さん」だったと聞いたことがあった。引き揚げ後の交流はなく、もう詳しいことは分からない。 母の名前に続くきょうだい5人の名前は「間違いだらけ」だった。昭男さんの名前は「秋夫」と書かれ、家族の名前にも誤字があった。 「児玉さんが代わりに申し込んでくれたんだろう。母が立ち会ったらこんな間違いはないはず」と笑った。 名簿に刻まれた文字列が、約80年前の光景を想像させた。【森原彩子】「乗船名簿」からたどる人生 戦後80年の2025年、樺太経由で1947~48年に北方領土から引き揚げた約8800人分の「乗船名簿」が見つかった。関係者の証言を紹介する。あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>