毎日新聞 2026/3/29 10:15(最終更新 3/29 10:15) 有料記事 2318文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷木幡治さん=双葉町で2026年2月26日午後2時56分、柿沼秀行撮影 東京電力福島第1原発事故により福島県内の農作物は放射性物質に汚染され、出荷や作付けが制限されたり風評に苦しめられたりして、大きな打撃を受けた。特に長期の避難を強いられた浜通り地域の12市町村では今も営農再開がままならない。東日本大震災の前は双葉町でコメ農家だった木幡治さん(75)は、ブロッコリー農家に転身。避難先のいわき市から通いながら、町の本格的な営農再開を夢見る。 ――双葉町はほとんどが帰還困難区域となり、避難指示が一部で解除されたのは2022年8月と、震災から11年がたった後でした。 ◆遅かったですね。もう少し早ければ、戻ってくる農家も多かったと思います。広野町などは解除が早かったからまだ良かったですが、避難が長引いたその他の自治体は農家が戻ったとは言えない状況です。 私はコメ農家の8代目で、祖父母からは「(1830年代の)天保の大飢饉(ききん)では集落で生き残った3軒のうちの1軒だった」と聞かされてきました。長男でもあり、農業以外に道はありませんでした。今はいわき市から1時間ほどかけて畑に通っています。 ――震災後はどう過ごしていたのですか。 ◆県内を転々とし、3年ほどしていわき市に空き家を見つけ購入しました。 震災当時は「JAふたば」(現JA福島さくら)に勤めていて、震災後はJAの復興対策本部長として浜通り地域の営農再開に努めてきました。楢葉、富岡、浪江町では行政とタイアップして、(収穫したコメを乾燥から貯蔵、出荷まで一貫して行える)カントリーエレベーターの完成に携わりました。富岡町では他に、タマネギの選別機や貯蔵庫などを備えた野菜集出荷施設が完成しました。そんな中で双葉町だけ取り残されているような気もしていました。 ――双葉町では21年にコメの栽培が震災後初めて行われましたが、試験栽培だったため、放射性セシウム濃度の計測後は全て廃棄されました。22年には、6町村に設定された「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)で原発事故後初めて、区域内で栽培されたブロッコリーが出荷されました。 ◆試験栽培とはいえ、コメが収穫できた喜びはひとしおでした。ただ、この時は川の水を応急的に使わせてもらったのですが、用水路は震災で被害を受けたまま復旧しておらず、修復されるのを待っているところです。 一方、ブロッコリーは…この記事は有料記事です。残り1349文字(全文2318文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>